それでも音楽の話をしよう

音楽の話題を中心に、アイデア、ひらめき、日常を書き記していきます

南部なロックとソウルの香り

ラニー&ボニーという人たちがいる。

エリック・クラプトンジョージ・ハリスンと関わりのあった人たち。

この人たちのアルバムを少しづつ聴き進めている。

『オリジナル・デラニー&ボニー』、『ホーム』、『オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン』と来て、今、『デラニーよりボニーへ』を聴いている。

以前は、デラニー&ボニーを、クラプトンとのライヴ盤でしか知らなかったから、南部の香りのするロックとしか思っていなかった。

アルバムを聴き進めていくと印象が変わった。

スタジオ盤を聴くと、もっとソウルの香りのするグループだとよく分かる。

それがとても心地よい。

そもそも『ホーム』はスタックスで作られたとのこと。

なんだ!ソウル・ミュージックのど真ん中じゃないか!

 

ともかく、この、南部なロックとソウルの香りのミックス感覚がたまらない。

差し迫った大きな課題

Mr.ワリコメッツの活動で今、差し迫った大きな課題がある。

レコーディングである。

レコーディング初日に向けて、残り二週間ほどとなった。

ドラムアレンジが固まっていない曲もあるし、なんなら全体的なアレンジが決まっていない曲もある。

曲数も多いので、今現状、何がどうなっているのか、一つずつ整理してみた。

「そう言えば、これがまだだった!」

「これはどうするんだったっけか?」

混乱している。

急ピッチで曲を増やしたからだろう。

いろいろなことがごちゃごちゃしている。

いや、そうは言っても、レコーディングの時はいつもこんなものかもしれない。

やることがいっぱいあって、どのみちごちゃごちゃするのかもしれない。

「それでも」、と少しでも整理を付けようと、一曲ずつ当たっていく。

 

本当に差し迫っている。

ペースを上げよう。

これから毎日の課題となるだろう。

何か対策をせねば

いつ頃だったろうか?

東京五輪の開会式が近づきつつあったある日。

このままいけば東京のコロナの感染状況はヤバいことになる。

Twitterで見かけた、統計による分析の、その先端性に魅了されるとともに、このまま五輪が開催されれば感染爆発と医療崩壊は間違いだろうと確信した。

それから、Twitter上での、コロナ関連情報のチェックが日課となった。

日に日に悪化する感染状況。

それにつれ益々魅了されていく、統計による分析情報。

そして8月に入り、遂に統計が崩壊。

統計分析が意味をなさなくなったという。

それでもやめられない日課Twitterチェック。

そのようにしてだんだん、Twitterを始めSNS全般に費やす時間が増えていった。

スマートフォンのスクリーン画面を見る時間が増えていった。

 

これは完全にコントロールを失っている。

しばらく前からそう思うようになった。

「これは何か対策をせねば」

そう考えて、しばらくはTwitterを始めSNSを開かないことにした。

まずは手始めに、スマートフォンからSNSのアプリを消去してみた。

それからもうすぐ二日が経過しようとしている。

2日経って実感するのは、音楽を聴く時間と本を読む時間が増えたこと。

悪くない。

 

情報は確かに大事だ。

けれどこうして、もうしばらく様子をみてみようと思う。

 

許光俊著『クラシックを聴け!』

なんとなく許光俊著『クラシックを聴け!』という本を読んでみた。

クラシックを聴いてみたいと思ったのかどうか、それは分からない。

たまたま目に入っってちょっと気になったから読んでみた。

それだけのことだ。

 

結論から言うと、とても面白い本だった。

クラシックを聴きたいと思わせられた。

そもそも、クラシックって何をどう聴いたらいいのかが分からない。

分からないから眠くなってしまう。

実際寝てしまう。

だからちゃんと聴いたことがない。

そういう取っ付きにくいクラシックの聴き方を、ポイントを絞って分かりやすく、しかも興味深い切り口で教えてくれる。

『クラシックを聴け!』はそんな本だった。

 

クラシックには基本となる構造があるという。

混沌から調和へ。

その時重要なポイントとなるのが二元論だ。

「善」と「悪」、「陰」と「陽」、「天」と「地」。

正反対のもの同士が混沌を作り、それが紆余曲折を経て調和へと向かう。

それがクラシックの基本構造のようだ。

なるほど!

発想がすごく西洋的だなと妙に納得した。

対立を乗り越えて、より良いゴールへと向かう。

弁証法的発想。

その過程をフレーズというか、テーマというか、相対する二つの主題で表現したものがクラシック音楽なのだ。

 

純化しすぎた話かもしれない。

それでいい。

それくらいが丁度いい。

クラシックという音楽のフォーマットと、それ特有の聴き方を知れただけで充分だ。

そして、クラシックの歴史はそのフォーマットの中での、作曲家による創意工夫の歴史だということが知れただけで。

 

 

 

久しぶりにミーターズを

久しぶりにミーターズを聴く。

有名な「Cissy Strut」が入ったファーストアルバムを。

かつて毎日のように繰り返し聴いていた時期があったので、久しぶりに聴くとどの曲もなんだか懐かしく感じる。

もう10年以上は前だろうな、繰り返し聴いていたの。

久しぶりに聴いて一番印象に残ったのは、音が良いということ。

まぁ、音が良い悪いというのは多分に主観を含んだ感想だ。

では、何がどう良いと思ったのか?

それは音が生々しいこと。

マイクを何本立てて、どのように録ったのかは知らない。

いずれにしても編集や加工は少ない。

だからスタジオで聴くような音が聴こえる。

自分がバンドをやっているからかもしれないが、楽器本来のそのまんまの音が聴こえる、そういうサウンドが好きだ。

 

ミーターズ、やっぱり良いなぁ。

ドラムにも歴史がある

音楽には歴史がある。

ロックンロールにも歴史がある。

そして、ドラムにも歴史がある。

僕は歴史を知ることが好きだ。

純粋な好奇心でもあるし、歴史を知ることは対象そのものについての理解を深める効果もある。

 

最近、『The All-American Drummer 150 Rudimental solos』という本を買った。

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ドラムのスネア(いわゆる小太鼓)演奏の基礎としてまとめられた「ルーディメンツ」というものを、スネアのソロ曲を通して身につけてしまおう、というコンセプトの本。

いつ作られた本なのか正確な年代は今ちょっと分からないけれども、数々の名ドラマーも使ってきたという。

ドラムの技術を学べると同時に、ドラムの歴史を感じることができるだろう。

手元に届いて、そして軽くページをパラパラとめくっていると、これまでいた世界中のドラマーの存在に想いを馳せてしまう。

ともかく。

これからじっくりと取り組んでいって、その歴史の一部になれたら、と思う。

スピーカーから。イヤホンから。ヘッドホンから。

毎日、音楽を聴く。

スピーカーから。

イヤホンから。

ヘッドホンから。

 

一番の理想はスピーカーから音を出して音楽を聴くこと。

たいして立派なスピーカーがあるわけではないけれど、スピーカーはやはりスピーカーだ。

音楽の立体感を感じることができるし、音もふくよかだ。

主に集中して音楽を聴きたい時にスピーカーを使う。

 

移動中はヘッドホンで音楽を聴く。

ワイヤレスのイヤホンにしてから移動中に音楽を聴くのがだいぶ楽になった。

以前はよく、コードが絡まってイライラしたものだ。

イヤホンで聴く時は主に、お気に入りの曲を探すことを目的としている。

なのでサラッと聴く感じ。

聴いたことのないアルバム。

久しぶりに聴く曲。

最近は1970年代のアメリカのロックを中心に探っている。

本当はもう少し聴くものの幅を広げたいけど、時間との兼ね合いでテーマを絞って聴くようにしている。

ブルース・スプリングスティーン『Born To Run』、デラニー&ボニー『Home』、ボズ・スキャッグス『シルク・ディグリーズ』。

「昔聴いた時はピンとこなかったけど今聴くと凄くいい」、「こんなにいいアルバムがあったんだ」と嬉しい発見がたくさんある。

毎日のように。

 

ヘッドホンで聴くのは、夜の遅い時間。

やはり集中して音楽を聴く。

それなりには音量を上げたいので、夜はどうしてもヘッドホンが必要になってくる。

以前はヘッドホンが大好きだった。

細かい音まで聴こえるから、という理由で。

今はちょっと違う。

スピーカーから音を出した方が細かい音まで聴けるように思う。

だからヘッドホンはあまり使わなくなった。

必要のある時だけ。

 

と、最近の音楽を聴く環境をまとめてみた。