それでも音楽の話をしよう

音楽の話題を中心に、アイデア、ひらめき、日常を書き記していきます

気付けば繋がれてしまっていた

ビートルズ『プリーズ・プリーズ・ミー』に収録されている「チェインズ」という曲がある。

どういうわけか、僕は昔からこの曲が好きだった。

ジョンとポールと、そしてメインを歌うジョージと、3人の歌の掛け合いに魅了される。

そんな曲だった。

だがしかし、ビートルズのヴァージョンは一般的にはあまり評価が高くないようである。

いや、ものの本によってはけなされていたりもする。

たとえば、こんな風に。

 

〈チェインズ〉は、はやばやとビートルズのステージから姿を消したナンバーで、そのことがレコードにも露呈している。いくぶん調子はずれの演奏は、自発性にとぼしく、新鮮さをかもしだしているのは、レノンの「北部っぽい」ハーモニカのみ。(イアン・マクドナルド著『ビートルズと60年代』p80)

 

こんな風に書かれると、お気に入りの一曲なだけに悲しくなってくるが、世にはいろいろな意見があって当然であるし、一意見として聞いておくにとどめよう。

ともかく、この「チェインズ」について。

どうして好きなのだろうか。

 

元々この曲は、「ロコモーション」で有名なリトル・エヴァのバック・シンガー、ザ・クッキーズがオリジナルである。

そして、「チェインズ」は「ロコモーション」と同じく、ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングのコンビによって作られたナンバー。

それをビートルズが時を経ずしてカヴァーした。

この、クッキーズのヴァージョンを聴いてみる。

やっぱり良い。

聴いてみると、ビートルズも、このクッキーズのヴァージョンを再現しようとしていたことが分かる。

そしてやっぱり、ゴフィン&キングによる曲は良い。

すごくいい。

このチームによる曲は有名でヒットした曲も多いし、僕も好きなものが多い。

なるほど。

そもそも曲が気に入ったから、ビートルズのヴァージョンもずっと好きだったのかもしれない。

 

クッキーズのヴァージョンを何度か聴く。

すると、やはりビートルズのヴァージョンを聴きたくなってくる。

ジョージのパートを追う。

ジョンのパートを追う。

ポールのパートを追う。

ポールの声はなんて高いんだ、と驚く。

そしていつも、気づけばジョンのパートを追ってしまっている自分がいる。

どういうわけか耳について離れなくなってしまうのだ。

 

そして、クッキーズとビートルズを行ったり来たり。

ぐるぐるとめぐる。

気付けば「チェインズ」に繋がれてしまっていた。

 

Chains, a song by Cookies on Spotify

 

Chains - Remastered 2009, a song by The Beatles on Spotify

音楽をやろう

ここ数日間、バンド関連の用事で外出が増えている。

それ自体は喜ばしいことではあるのだけど、その分、音楽そのものにかける時間が減っている。

音楽を聴く時間。

練習する時間。

思考する時間。

もちろん、音楽活動に隣接する諸々が重要であることは言うまでもない。

けれど、音楽そのものにかける時間が一番重要であるはずだ、と僕は思う。

と言うより、結局、音楽をやっている時間が一番好きなだけなのだろう。

重要かどうかに関係なく。

 

さぁ、音楽をやろう!

楽器を手にすると弾かずにはいられない

昨日は、Mr.ワリコメッツの新しいアー写などを撮影しに遠出をしてきた。

都内から数時間、海があって、畑の広がる丘もある、のどかで素晴らしいところだった。

そして、長丁場で疲れたのか、今日は久しぶりにかなりの朝寝坊をしてしまった。

 

撮影の中で一度、皆が楽器を持つ場面があった。

すると皆、自然と楽器を弾き始めてしまう。

無意識のうちに弾き始めてしまっている。

ギターやベースはアンプに繋がれているわけではなく、しかも屋外だからほとんど聴こえないのだけれど、それでも自然と弾いてしまう。

ハーモニカも吹いてしまうし、太鼓も叩いてしまう。

誰がお願いしたわけでもないのに。

いや、屋外だし、むしろ迷惑かもしれないのに(幸い、周りに人はいなかったけれど)。

楽器を手にすると思わず弾いてしまう。

弾かずにはいられない。

むしろ、弾くことを我慢することの方が難しい。

それはミュージシャンの性なのだろうか。

そんなことを、ふと思った。

落ち着け、おれ!

昨夜は、久しぶりにスタジオに行ってドラムを叩いてきた。

配信ライヴや、これからのライヴに備えて、少しずつ勘を取り戻していかなければならない。

新型コロナウィルスの影響でライヴが中止になったり、緊急事態宣言が出されて外出も制限されるようになってから、ライヴができるのはずっと先になると思っていた。

人前で演奏できるのはずっと先になると思っていた。

だから、もう一度自分のドラムプレイを見直して、フォームを改善したり、基礎的な練習に取り組んだりと、じっくりゆっくり練り直していこうと考えていた。

ところが意外にも、人前で演奏する機会は早く訪れた。

ひとまずは、配信ライヴという形ではあるが。

フォーム改造中にいきなり実践に投じられると、いろいろとあべこべな現象が生じてしまうかもしれないけれど、まぁ、それはしょうがないと思っている。

もう後戻りはできない。

フォーム改善も、ライヴという実践の場も。

逆に、せっかくの機会と覚悟を決めて、現場で折り合いをつけながら前進あるのみだ。

 

それにしても、やはり、生のドラムは白熱してしまう。

昨日は軽めの調整、緩やかにプレイするつもりでスタジオに行ったのに、気づけば思いっきりドラムを叩いている自分がいた。

リラックス、リラックス!

落ち着け、おれ!

 

「ロックンロール」の歴史は繋がっている、生まれるずっと前から

黒人による音楽はかつて、黒人のための音楽であり、聴衆は当然黒人だった。

白人による音楽はかつて、白人のためのものであり、聴衆はやはり白人だった。

やがてその垣根が取り払われていく。

その突破口となったのは、白人の若者が黒人のリズム&ブルース(=R&B)を聴くようになったことだ。

その流れに貢献したのは、当時のラジオDJたち。

中でもその最大の功労者と言われているのがアラン・フリードという人で、白人リスナーに向けてR&Bをかけまくった最初の白人DJだと言われている。

そして、「ロックンロール」という呼び名を広めて世に定着させたのもこの人だと言われる。

そう、アラン・フリードのDJから「ロックンロール」の歴史が始まったのだ。

あくまで一側面の話ではある、ということを注記しておく。

 

Spotifyに『Alan Freed's Favorite Chart Doo Wop Records』というアルバムがある。

ラン・フリードが「ロックンロール」と呼んでいたタイプの音楽には、後にドゥーワップと言われるようになる音楽が含まれていた。

僕はドゥーワップについてはあまり知らないので、ひとまずこのアルバムを聴いてみることにした。

収録されているのはThe Charms、The Champions、The Evergreens、The Tru−Tones、Delmirasというグループたち。

聴いていて思ったことがある。

それは、「ロックンロール」はやはり、突然変異で生まれたものではないのだということ。

「ロックンロール」の歴史は繋がっているのだ。

それは「ロックンロール」が生まれるずっと以前から。

黒人の音楽がなければ、今の「ロックンロール」は存在しない。

ここで改めて敬意を表したい。

 

The Legendary Henry Stone Presents: Alan Freed's Favorite Chart Doo Wop Records by Various Artists on Spotify

誰かに押しつけられるものではなく、模索するもの

withコロナの時代だという。

そんな時代における音楽のあり方とは?

ライヴのあり方、ライヴという「場」のあり方とは?

どんなあり方が可能だろうか?

 

新しい生活様式だという。

新しい生活様式

うむ、このwithコロナの時代にあって、それは必要なことだろう。

必要だけれども、それは誰かに押し付けられるようなものではない。

皆それぞれ試行錯誤しながら模索すべきものである。

新しい生活様式はどんなものになるのか?

それは皆の模索の集合の先に、きっと見えてくるだろうと思う。

 

さて。

どうやら試行錯誤を始める時が来たようだ。

 

 

レコーディングはミックスまで終了、納得のでき!

実は陰で進めていたMr.ワリコメッツのレコーディング。

Twitterでチラッと公表されていたので、ここにも記す。

 

昨夜未明、レコーディングはミックス作業まで終了した。

ここまで長かったような、短かったような。

プリプロの段階までは、このブログでも折りに触れ書いていた。

その後は諸般の事情を考慮して、はっきりとは書かなくなった。

書かないようにしていた。

それでも、紆余曲折しながらレコーディング作業は進んだ。

今回は時節柄、特殊な状況にあった。

だからこそ、全てが印象的である。

これらの印象は後々、さらに強まっていくような気がする。

今はただ、終わってしまったことが寂しく感じられる。

 

そして、これからも困難は続く、と考えられる。

今回レコーディングした作品は、期せずして、僕のバンド生命をかけた作品になってしまうかもしれない。

新型コロナウィルスの影響で。

これは気持ちの問題とか、比喩的な表現ではない。

リアルな現実である。

イヤらしい話かもしれないが、この作品が売れて資金を回収できないと、バンド活動の継続が危ぶまれるかもしれない。

冗談抜きで、今現在、そのような状況に追い込まれている。

 

それはそれとして、作品は納得できるものに仕上がった。

ごく控えめに言って、生のバンドサウンドが好きな人にとってはたまらない作品になった、と思う。

だからこそ、音楽作品は音楽作品であることにこそ価値があって、そこに付随する付帯情報は余計なものだ、と言いたい。

けれど、気持ちとしては、書かずにはいられないこともあった。

 

今の率直な所感を、正直に書いた。

書いてしまった。