それでも音楽の話をしよう

音楽の話題を中心に、アイデア、ひらめき、日常を書き記していきます

どんどん、流し込んでは捨て。

夢中になってドラムマガジンを読んでいる。

そこで紹介されているアルバムにも可能なかぎり耳を通し、気にいったものはまた後で聴けるようにリストアップしておく。

NONAME『TELEFONE』からヒップホップシーンからの流れと“今”を感じ、マット・キャメロン『Cavedweller』に最先端のロックを聴き、THURSDAY'S YOUTH『東京、這う廊』の心地良いサウンドとグルーヴに惹かれ、Jing Chi『SUPREMO』に凄腕セッションドラマーのグルーヴを体験する。

ここで聴く音楽には、何の脈絡もない。

興味の向くままに手を伸ばしているだけだ。

いずれ自分のプレイに役立つかどうかは分からない。

けれど、何の脈絡もなく聴いた音楽が自分の無意識に流れ込み、いずれどこかで効いてくることはあるかもしれない、とは思っている。

その点は、本をジャンルに縛られることなく多読することに似ているのかもしれない。

 

昨日も書いたけど、今は現状を変えたい気持ちが強い。

今身についている自分のプレイスタイルだったり、やり方、捉え方、考え方だったり、そういったものを一度ぶち壊してしまいたい。

ぶち壊した先に、それでも残る核があり、そこからまた再構築したい。

それが結果として吉と出るか凶と出るか、それは分からない。

むしろ結果は、どうでもいい。

ただ、今はそうしたいだけだ。

 

そのために今は、自分の無意識の領域にいろんなモノをどんどん流し込んでいる。

どんどん流し込んでは、どんどん捨てている。

そういう時期。

慣れた場所は心地よいか?

慣れた場所に行くのは心地よいか?

それとも、どうも気乗りがしないものか?

もちろんその答えは、その時の心境によって変わってくるだろう。

今僕は、どうも後者のモードにいるようだ。

 

たとえば、ライヴハウス

行き慣れたライヴハウスに行くよりも、しばらく行っていないか、初めてのところに行きたいと思う。

行けば馴染みの人に会えるライヴに行くより、知人の誰もいないようなライヴに行って、優れた演奏と一対一で向き合いたいと思う。

よく知っている音楽を聴くより、今まで縁のなかった音楽を聴きたいと思う。

 

だから、たとえば『ドラム・マガジン』のような雑誌を読むのが、今楽しみな時間。

聴いたことのない音源がたくさん紹介されている。

触ったことの楽器がたくさん紹介されている。

 

現状から、そして現状の延長線上から早く抜け出したいと、心が騒いでいるようだ。

雨の舞

台風が日本列島に近づきつつある今現在。

窓の外では、雨が大きくうねりながら舞っている。

時々そこに、無力な傘とともに人が侵入してきては、その「雨の舞」に弄ばれる。

そんな光景を眺めながら、読むともなしにドラムマガジンをパラパラっとめくってみる。

チェンジアップ。

トラッフィックのドラマー、ジム・キャパルディ。

ジョー・サトリアーニの新譜とチャド・スミス。

椎名林檎の新譜。

Coccoの20周年記念ライヴ盤at 日本武道館

目に飛び込んでくるそんな言葉を眺めながら、まだまだ聴いてみたいもの、観てみたいもの、音楽について知りたいこと、たくさんあるなぁ、となんとなく思う。

ただならぬ事態の様相を呈してきた外の世界と、それとは対照的に視点がふらふらと定まらぬ、僕の頭の中。

そしてまた、視線を窓の外に移し、「雨の舞」を眺める。

「ヘイ・ジュード」と「オブラディ・オブラダ」

ゆっくりとした歩みで取り組んでいる「ビートルズとブラック・ミュージック」というテーマ(ヴォーカルはソウルフルで、バンドはファンキー - ひろやのブログ)。

「黒人アーティストによるビートルズ・カヴァー」が収録された、雑誌の付録CDと、そこから派生したリンクを探っている。

今回は、ウィルソン・ピケットによる「ヘイ・ジュード」と、アーサー・コンリーによる「オブラディ、オブラダ」を。

これ、2曲とも、フェイム・スタジオでの録音。

いわゆる、サザン・ソウル

オールマン・ブラザーズ・バンドデュアン・オールマンが、2曲ともギターで参加している。

 

まずは、「ヘイ・ジュード」。

Hey Jude, a song by Wilson Pickett on Spotify

ウィルソン・ピケットのヴァージョンは、とにかく、熱い!

熱すぎる!

笑っちゃうくらいに、熱い!

ウィルソン・ピケットの歌も、デュアン・オールマンのギターも。

なんなんだ、このシャウトは!(笑)

 

お次は、「オブラディ・オブラダ」。

Ob-La-Di, Ob-La-Da, a song by Arthur Conley on Spotify

こちらは、どちらかと言えばビートルズ寄り。

少なくとも、僕が抱くアーサー・コンリーのイメージではない。

けど、曲が良いからねー、楽しんで聴ける。

スネアのフィルが熱い。

あとは、ブリッジにおける有名なホーンによるオブリ(歌の主旋律の合間に入る、楽器による合いの手みたいなパート)が、ギターによる自由なオブリに変えられているのが聴きどころか。

 

ビートルズからフェイムへ。

音楽を探る旅は、今日も続く。

どんな音を出したいのか?

どんな楽器を使うのが望ましいのか?ということを考えている。

バンドにとって。

もちろん、自分にとって、も。

たとえばレコーディングするとしたらどんなドラムセットやスネア、シンバルを使うのが良いのか?どんな響きの部屋が良いのか?

あるいはそれは、ライヴをする場の話でもいい。

 

どんな楽器を使うのか?

どんな楽器を使いたいのか?

この問いは、「どんな音を出したいのか?」ということでもある。

これは楽器演奏にとってとても重要なこと。

基本。

根本。

どんな音を出したいのかによって、どのように演奏をするかが変わってくる。

「どんな音を出したいのか」と「どのように演奏をするか」は、密接に繋がっている。

とても大事なことなのに、「どんな音を出したいのか」ということは、思いの外ないがしろにされているような気がする。

「どんな演奏をするか」にばかり気を囚われていることが多い。

自戒も込めて。

 

どんな楽器を使うのか?というのは、しかし、それほど自由な選択が許されているわけではない。

楽器は簡単に買えないし、持ち運びにだって制限がある。

けれど、考えることは無益でではない、はず。

喜ばしい!

Mr.ワリコメッツのワンマンツアーが終わってから、ほぼ10日が経過した。

そして、昨夜はワンマン後、初めてのスタジオ。

スタジオ前には、今後の計画の話など、ミーティングもした。

こうしてみると、準備すべきことが結構あるし、意外と時間も差し迫っているんだなぁ、と感じる。

大きな山を越えたような気でいたけれど、そんなことはない。

むしろこれからが大きな山なんだと思えてくる。

いずれにしろ、夢や目標に向かっていけるのは喜ばしいことだと思う。

 

いろいろな調整で、今日もなんだかバタバタ。

いいじゃない!

やってやろう!

改めて、気合いが入る。

 

寝すぎてしまう

最近、なんだかとてもよく眠れる。

身体が睡眠を欲しているのか。

眠れすぎて困っている。

正確には、寝すぎてしまって困っている。

朝に予定がないと、本当に昼まで眠ってしまう。

この猛暑が連日続いているというのに。

寝るときのエアコンは、僕は苦手だ。

だから汗をだらだらと書きながら寝ている。

これだけ暑いと、その暑さで起きてしまいそうなものなのに、最近はなぜだか起きない。

目覚めない。

そんな状態を、自分でも不思議に思う。

 

習慣とは恐ろしいもので、怠惰な生活が習慣になってしまうと、なかなかその習慣から抜け出せない。

怠惰に陥りつつあるのか?

あるいは、睡眠は記憶の整理とは言うけれど、新しい記憶の処理に追われて身体が睡眠を求めているのか?

後者であることを願う。