それでも音楽の話をしよう

音楽の話題を中心に、アイデア、ひらめき、日常を書き記していきます

曲のことが頭から離れない数日間

ここ数日、曲作りに挑戦している。

もっとずっと前から曲を作りたいなとは思っていた。

でも、なかなかできなかった。

ようやく少し始めてみると、こんどは難航した。

少し作ってみては却下して、なかなか形にならない。

そんな中から一つだけ、ようやく形になってきたものがあった。

そこで次は歌詞をつけてみる。

ここでもまた難航する。

言葉がなかなか浮かばない。

何日間か考えた末、一つの言葉をきっかけに突破口が見えてきた。

 

曲作りの経験は浅い。

実際に曲を作ってみると、そのことを強く実感させられる。

それでも曲を作る過程は、人を病みつきにする何かがある。

曲のことが頭から離れない数日間を経て、そう直感した。

久しぶりに

急に思い立ち、久しぶりにブログを書いている。

今年はコロナに振り回された一年だった。

いや、これからもまだまだ振り回され続けるだろう。

あるいはこれからがコロナ禍の本番なのかもしれない。

歴史に学ぶのであれば、今までは序章のような気もする。

 

窮地に立たされた時にこそ、それでもこれだけは譲れないというモノゴトが見えてくる。

それを人は価値観というのかもしれない。

価値観、か。

価値観と価値観がぶつかり合い、あるいはすれ違い、そして時に優しく溶け合うこともある。

あなたは何を大事にして生きているだろうか?

 

コロナ禍で失ったものもあれば、得たものもある。

ドラムの基礎練習をする習慣が身についたのは、僕がコロナ禍で得たものの一つだと言っていい。

ここのところは時間がなくて、あるいは怠け心で、その頻度が下がっていた。

けれど、やっぱりもっとしっかりやろう!

今朝、そう決意した。

譲れないモノゴトが、そこにはあるのだから。

未知の扉が増える

昨夜はMr.ワリコメッツのスタジオ入りだった。

レコ発ワンマンライヴに備えて、そして今日のUFO CLUBでのライヴに備えて、みっちり3時間のリハーサルを行なった。

そして、今日は今日で個人練習をするためにスタジオ入り。

ライヴに備えて軽めの調整をする。

それにしても、練習をすればするほど、そしてライヴをすればするほど、課題がどんどん見つかっていくような気がする。

ひとつクリアしたと思ったら、またすぐ次の課題が見えてくる。

扉を開けば開くほど、未知の扉がどんどん増えていく。

終わらない挑戦。

うむ。

まぁ、いいじゃないか。

どんどん扉を開いていけば。

良いか悪いかそれな知らないけれど、とにかく扉の先にあるものを見てみたい。

ここ最近は、キンクスをよく聴いている

ライヴハウスで生きた音楽を体感するのもいいけど、家でスピーカーから流れてくる音楽を聴くのも、それはそれでやはり捨てがたい。

なにものにも邪魔されず、音楽と一対一で向き合う時間は貴重だ。

なにかをしながらBGMとして音楽を流すのではない。

しっかり集中して音楽を聴く。

音楽の中でなにが起きているのかを探るようにして、じっくりと聴く。

そんな音楽体験が肥やしになる。

 

ここ最近は、キンクスをよく聴いている。

今日も聴いた。

「Set Me Free」、「Dedicated Follower of Fashion」、「Waterloo Sunset」など、キンクスにはとにかく良い曲が多い。

そして最近は、キンクスのギターの音が好きだ。

広がりを感じる鳴り方が好きだ。

そして、アコースティックギターの音色も良い。

バンドの演奏は、なにか特別なことをする感じではない。

曲の良さを引き出すことに専念している。

曲の良さを引き出すためのノリがあり、サウンドがある。

そこがまた素晴らしい。

 

また後でも、キンクスを聴こう。

常に移ろいゆくものであればこそ

23日未明に出発して始まった今回のツアーは、京都メトロ、名古屋得三とまわって、昨日帰ってきた。

ライヴはやはり生モノであり、生きものであり、常に移ろいゆく。

良い時もあれば悪い時もある。

ノリが良かったり悪かったり。

勢いがあったりなかったり。

冷静さがあったり混乱があったり。

常に移ろいゆくものであればこそ、価値があり、そしてどこまでも儚い。

音楽は録音して複製して広まって、それで音楽に触れることもできる。

けれど音楽の核心部分はやはり、移ろいゆく儚さの中にあるのだと思う。

改めてそんなことを感じたツアーだった。

 

ツアーも終わり今日からまた改めてスタートを切る。

そんな気分の今朝も早速、ドラムの基礎練習から始めた。

できることはまだまだある。

全ては日々の積み重ねから始まる。

身についてしまった習慣は強い

11時から13時まで、スタジオに入ってドラムの個人練習をしてきた。

最近はバスドラムを叩く時、ビーター(ドラムのフットペダルの先端に付いていて、バスドラムの打面を直接叩く部分)を打面に押しつけないようにしている。

押しつけない叩き方をマスターしようとしている。

そうすることによって音が変わる。

音楽にとって、音は大事だ。

ライブハウスでマイクに乗ってしまうとその違いもどこまで出るか微妙なところかもしれないけど、それでもやはり自分の出す音にはこだわっていきたい。

それにしても押しつけないように操作するのは難しい。

身についてしまった習慣は強い。

 

さて、明日からツアーだ。

京都、名古屋と回る。

23日京都はメトロ、24日名古屋は今池得三である。

アルバム発売後、初のライヴとなる。

CD売れるといいな。

そしてなにより、ライヴそのものが楽しみ。

日々の成果を問う。

モノボックスー俄然、音楽を聴くのが楽しくなった

先日のディスクユニオン巡りの時に、ビートルズのモノボックスを買った。

コロナの影響で、今現在はCDを買えるような状況ではない。

それでも出会ってしまった。

モノボックスは前々から欲しかった。

以前にも探したことはあったけど、ネットで見つかるものは高くて躊躇してしまって、買わずじまいになっていた。

「今でなくてもいいか」と先延ばしにしていた。

それに比べるとディスクユニオンで出会ったものはだいぶ安かった。

それに『星の海』のレコーディングを経てミックスの違いに興味が高まっている今こそ、モノラルとステレオのヴァージョンを聴き比べる時ではないか!とさえ思った。

そして、清水の舞台から飛び降りるつもりでモノボックスを買った。

 

早速、ファースト・アルバム『PLEASE  PLEASE ME』を聴き比べてみる。

ざっくりとした印象だけど、ステレオは境界線をぼかした優しいタッチ、モノラルは境界線を強調した強いタッチで描かれているような感じかな、と思った。

ステレオは広がりと奥行きがある分遠くでなっている感じがあって、モノラルはひとつのかたまりとなって近くでダイレクトに響く。

そして、ミックスが違うと個別の音も違って聴こえてくる。

モノの方が、ギターの音が良いなぁ。

ドラムもモノで聴く方が良い音してるなぁ。

僕はそう思った。

 

俄然、音楽を聴くのが楽しくなった。