落差が、印象を強くする!?
しばらく前からデイヴ・ブルーベック・カルテットの「blue rondo a la turk」という曲が好きで、何度も何度も聴いて耳コピしようと試みていた。
未だにまともには演奏できないけれど、初めは何がどうなっているのやら理解すらできなかったこの曲も、何度も聴いていくと、なんとなくのイメージはつかめてくる。
積み重ねというのはやはり、大事だなと思う。
継続は力なり。
小さな試行錯誤の積み重ねが、やがて大きく膨らみ、それがパワーになっていく。
8分の9拍子と言っていいのかな?用語で説明するとよく分からないけれど、そんな拍子のリズムを主体に、拍子が、リズムが目まぐるしく変化する、この曲。
このリズムが面白くもあり、難しくもあり、魅力でもある。
そして何度も聴いてきて、まだ言葉で説明するのは難しいけど、身体には自然と馴染んできた。
あんなにワケの分からなかったものが身体に馴染んでくるというのは、なんだか不思議なものだ。
昨夜、この曲の動画をYouTubeで観る。
一つは、ジャズ講師たちがデモ演奏するかのような、比較的最近の動画。
原曲にも、ある程度忠実であった。
そして、1950年代の、デイヴ・ブルーベック・カルテット自身による、ライヴ動画。
こちらは本人たちが演奏しているのだけど、ライヴ動画ということもあり、聴いてきた音源とはまた違うニュアンスも伴う。
テンポも早かったりして、より攻撃的であった。
これらの動画を観て、ある種の衝撃を受ける。
音で聴いてイメージしてきた演奏の仕方と、かなり違っていたからだ。
「こんな風に演奏しているんだ!カッコいいな!」と。
曲を覚えようとする場合、初めから動画を観てしまうという選択もある。
今の世の中、それが容易に達成できる環境はある。
けれど、まずは映像は観ないで、音の情報からだけでイメージを膨らませていくことには、すごく意味があると思われる。
そうやってまずは音からイメージを膨らませて、その後映像を観ると、当然イメージの違いが生まれる。
その落差が良いのだ。
落差が大きい方が、その衝撃も大きなものになる。
初めて映像を観た時の印象が強くなる。
自分でイメージを作って、自分の中に基準を作っているからこそ、その違いが意味あるものになる。
昨夜、「blue rondo a la turk」の動画を観て、感じたこと。