それでも音楽の話をしよう

音楽の話題を中心に、アイデア、ひらめき、日常を書き記していきます

なんなんだー、チクショー!

なんなんだー、チクショー!

 

昨夜は、吉祥寺ブラック&ブルーにライヴを観に行ってきた。

それをブログに書こうと、気合いを入れて、しかも写真付きで長いこと書いていたら。

途中で何故かそれらが消えてしまった。

それも2度までも。

それで、「なんなんだー、チクショー!」と。

時間が足りなくなってしまったので、同じことはもう書けなくなってしまった。

書く気も失せてしまった。

 

昨夜は知り合いも多く、いろんな人たちと会い、乾杯し、話をした。

ブラック&ブルーは、やっぱり好き。

ライヴハウスって楽しいな!そう思った夜だった。

渋谷−原宿Galaxy、イベント【Mish Mash】な夜

昨夜は、Mr.ワリコメッツのライヴ、【Mish Mash vol.2】というイベントへの出演であった。

「Mish Mash」。

この言葉は、『不思議の国のアリス』の著者として知られるルイス・キャロルの雑誌名から取られた言葉で、「ごたまぜ」という意味だという。

小芝居、引き語り、テクノ、ポップス、ロックンロール。

そして多目的ホールPA卓からアンプ、ドラムセットまで、レンタルした機材を持ち込み、一からセッティングしていくという手作り感。

そこはもうなんでもござれ、本当の意味での「ごたまぜ」な一日だったように思う。

これは好みの分かれるところであるかもしれない。

もっと統一されていたり、洗練されている環境を好む人もいるだろう。

安定感を求める気持ちは分かる。

けれど、もっと雑然としていて何が起こるか分からない環境の面白さだってある。

ぐちゃぐちゃとした「ごたまぜ」の中から見つかる宝物だってあると思う。

言葉で説明するのは難しい。

きっとあの場にいた人にしか分からない空気感。

感じ方は人によっても違うだろう。

こういう「ごたまぜ」って面白いな、と僕は思った。

未開の地の開拓。

 

昨日の記事にも書いたことだけれど、音作りはやはり難しかった。

悪戦苦闘した。

その工夫のうちの一つ。

スネア(念のため言っておくと、いわゆる小太鼓)に青いタオルがかかっていたのに気づいた人はいただろうか?

あれはミュートのためにかけたもの。

いつもはそんなことしないのだけど、リハーサルでこれはヤバイと思い、応急処置として汗拭き用のタオルを代用した。

有効だったかどうかは分からない。

良い経験をさせてもらった。

難しいからこそ、面白い!?〜リハーサルを終えて〜

リハーサルをやってきた。

なんだか、気持ちが高揚している。

難しいけれど面白いもんだな、と思う。

いや、難しいからこそ、面白いのかな。

 

今夜は、渋谷と原宿の中間地点ほどにある、「Galaxy-gingakei」というイベントスペースでMr.ワリコメッツのライヴがある。

今さっき、その会場でのリハーサルを終えたばかり。

ここは普段、バンドのライヴをやる会場ではなく、いろいろな用途に使用する多目的ホールである。

だから音響もバンドサウンド向きにはなっていないし、機材もイベント主催者がレンタルしてきたものだ。

PA卓や、モニター、アンプ、ドラムセットリスト、その他何から何まで。

そんな訳で、今回の会場での音作りはとても難しい。

あらかじめそう聞いていて、心の準備もしてきたけれど、会場に着いてみて、やはり難しそうだなぁ、と思った。

人間、窮地に陥ると考えるものである。

真剣に考えるものである。

そして、リハーサルでいろいろ試してみた。

「こんな感じではどうかな?あるいは、こうしてみたらどうかな?」と。

そしてどうやら、この緊張感が今の気分の高揚に繋がっているようだ。

 

リハーサルでは、それなりの感触は得た。

けれど、本番ではまたどうなるか分からない?

機材ドラブル。

響きの変化。

本番では、演者であるこっちの気持ちも違う。

本番ではきっと何かが起こる。

そして、それにどう対応できるか?

うまく対応するには、素早くレスポンスできるように心の眼を見開いておく必要がある。

いつだってそれは、必要なことなのだけど。

普段の環境と違うと自然とそんな感覚が研ぎ澄まされる、そういうことだってあるだろう。

 

難しい。

難しいからこそ面白い。

難しい環境を楽しんでいる、自分がいる。

お知らせ

そんなわけで、明日はMr.ワリコメッツのライヴです。

原宿と渋谷の中間くらいにあるという、galaxyというイベントスペースにてのイベント。

前記事のように、昨夜は3人でのスタジオになってしまったけれど、そこは大丈夫!

百戦錬磨のMr.ワリコメッツなのだから(笑)

今回は長めのステージ時間をもらっていて、昨夜も3人でセットリストを試してみましたが、なかなか良い流れ。

ワンマンにも準ずるような形でお楽しみいただけるかと思います。

唯一心配があるとすれば、普段はライヴハウスではないイベントスペース、会場での、当日の音作り。

そこは明日、会場入りしてからの入念なリハーサルで解決できればと思っています。

 

普段とは違う環境でのMr.ワリコメッツのライヴ、そして新しい風を感じるイベントを、是非お楽しみいただけたらと思います。

ご予約、お待ちしております!

 

http://mrwaricomets.info/schedule#reserve

 

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耳コピの威力〜昨夜スタジオの光景から〜

ボーカル・えいじがまずコーラスパートを歌い、ギター・めっしがそれをマネするように歌う。

それを何度も繰り返す。

それから、えいじが元の主旋律に戻ってちゃんとハモっているかを確認する。

僕もしっかり耳を澄まし、綺麗にハモれているかを判断する。

昨夜のスタジオで何度も繰り広げられた光景。

 

昨夜のMr.ワリコメッツのスタジオは、ベース・キリが急遽来られなくなって、3人での練習となった。

そんなわけで、必然的に新曲「誰も知らない夜に」のコーラス練習に多くの時間が割かれることになった。

もっとキレイにハモるにはどうすればいいか?

出すべき音程まで、音が上がりきらない。

歌いまわし、リズムや音の長さのズレ。

声質の違い。

それらをまるっと解決するには、メインボーカルのえいじの歌い方をマネすれば良いのではないか?

そして、冒頭の光景へと繋がっていく。

何度も何度も繰り返す。

繰り返すことによってイメージを獲得し、今度はめっし1人でギターで弾き語るように何度も歌った。

そして、それを繰り返した後。

えいじとめっしで再び合わせて歌ってみると。

いやー、びっくりした!

さっきまでとはまるで違っていた。

本当にキレイにハモっていた。

その違いは一目瞭然。

この僕でさえ、その違いははっきりと分かった。

 

耳コピの大事さ、有用さ、そしてその威力を目の当たりにした。

中途半端な耳コピではダメだ。

マネしようとする対象にいかに近づけるか?

本物と区別がつかないくらいに徹底的にマネできた時、人の認識力は増長し、技術レベルも一段階上がる。

基準ができる。

そこまでいくと、もっともっと自由になれる。

基準を持つことによって、自分のオリジナリティーというものが分かる。

それは、歌でも、楽器の演奏でも。

そんなことを、実感として理解した。

 

なんとも刺激的なスタジオだった。

頭の中をぐちゃぐちゃに!

今週に入ってから、過酷な日々が続いた。

神経的にも肉体的にも疲労が積み重なり、昨夜は“ちょっと一杯”、焼き鳥とビールで息抜きをする。

ただでさえ時間が足りない中、そんなガス抜きをしている場合ではない!とも思ったけれど、効果てきめん、その甲斐あって今朝は寝起きから、たまった仕事を快調に片付けている。

 

ドラムマガジンに、「DM Debut」という連載記事がある。

ドラムマガジン初登場のドラマーを毎月2名紹介していくコーナーとのこと。

今読みかけの、2017年12月号はそのスペシャル版で、11名のドラマーが紹介されいている。

その記事を読みながら、紹介されているドラマーの最新参加作を同時にいくつか聴いた。

bonobosLACCO TOWER、SWANKY DANK、夜の本気ダンスフレデリック、ミオヤマザキGALNERYUS、hi-lites。

グループ名でさえ初めて聞くものばかりで、その曲を聴くのももちろん初めて。

そんな未知の音楽を大量に聴いていると、頭が混乱するばかり。

グループ名とその音楽的特徴が記憶に定着することもままならない。

記憶が曖昧すぎて、現段階では資料を何も見ずに「こんな音楽を聴いた」と人に話すこともできないだろう。

一見無意味なことをしているようだけれど、これはこれで良いと思っている。

言わば、無意識の領域に学習させているようなものだ。

これらが何かに結びつくこともあるかもしれないし、ないかもしれない。

けれど、あちこちに糸を張り巡らせておくことに意味がある。

それがどんなに細い糸でも。

そして、頭の中をぐちゃぐちゃににすることに意味がある。

凝り固まった考えに囚われてしまわないために。

 

すっかり春らしくなった今日一日。

仕事は順調に進んでいる。

もちろん、こんなことばかりしているわけではない。

混乱させることもすれば、定着させることもする。

とにかく、新しい息吹を感じる、気持ちの良い一日である。

落差が、印象を強くする!?

しばらく前からデイヴ・ブルーベック・カルテットの「blue rondo a la turk」という曲が好きで、何度も何度も聴いて耳コピしようと試みていた。

未だにまともには演奏できないけれど、初めは何がどうなっているのやら理解すらできなかったこの曲も、何度も聴いていくと、なんとなくのイメージはつかめてくる。

積み重ねというのはやはり、大事だなと思う。

継続は力なり。

小さな試行錯誤の積み重ねが、やがて大きく膨らみ、それがパワーになっていく。

8分の9拍子と言っていいのかな?用語で説明するとよく分からないけれど、そんな拍子のリズムを主体に、拍子が、リズムが目まぐるしく変化する、この曲。

このリズムが面白くもあり、難しくもあり、魅力でもある。

そして何度も聴いてきて、まだ言葉で説明するのは難しいけど、身体には自然と馴染んできた。

あんなにワケの分からなかったものが身体に馴染んでくるというのは、なんだか不思議なものだ。

 

昨夜、この曲の動画をYouTubeで観る。

一つは、ジャズ講師たちがデモ演奏するかのような、比較的最近の動画。

原曲にも、ある程度忠実であった。

そして、1950年代の、デイヴ・ブルーベック・カルテット自身による、ライヴ動画。

こちらは本人たちが演奏しているのだけど、ライヴ動画ということもあり、聴いてきた音源とはまた違うニュアンスも伴う。

テンポも早かったりして、より攻撃的であった。

これらの動画を観て、ある種の衝撃を受ける。

音で聴いてイメージしてきた演奏の仕方と、かなり違っていたからだ。

「こんな風に演奏しているんだ!カッコいいな!」と。

 

曲を覚えようとする場合、初めから動画を観てしまうという選択もある。

今の世の中、それが容易に達成できる環境はある。

けれど、まずは映像は観ないで、音の情報からだけでイメージを膨らませていくことには、すごく意味があると思われる。

そうやってまずは音からイメージを膨らませて、その後映像を観ると、当然イメージの違いが生まれる。

その落差が良いのだ。

落差が大きい方が、その衝撃も大きなものになる。

初めて映像を観た時の印象が強くなる。

自分でイメージを作って、自分の中に基準を作っているからこそ、その違いが意味あるものになる。

 

昨夜、「blue rondo a la turk」の動画を観て、感じたこと。