その瞬間は、いつやってくるのか分からないのだから
ドラムを演奏するには、もちろん、手足を使う。
スティックを扱うのには腕、手首、指が関わってくる。
バスドラムやハイハットのフットペダルを扱うのには、脚、足首、つま先などが連動して関わってくる。
そうなのだけど、手足にばかり意識が向きすぎると、演奏が小手先になってしまうのではないか?
最近そんな気づきを得てからは、極力手足への意識は置いておいて、身体の中心で叩けるようにしたいと考えている。
四肢ではなく、体幹で。
そうは言っても、まだまだ知識不足、経験不足。
体得まではまだ遠い道のりであるような気はする。
だが、それは案外、ふとしたきっかけですんなり理解できることもあるのかもしれないとも思う。
昨夜、スタジオで個人練習をしていて、手足は脱力、身体で叩けていると思える瞬間があった。
「何かを掴んだかもしれない!」
けれど、そんな感覚はずくに離れていき、雲散霧消してしまったのだけど。
あの感覚をもう一度呼び戻したい。
できることならば、自由自在に。
その瞬間を求めて、今日も練習し、ライヴをする。
そして、わくわくする。
その瞬間は、いつやってくるのか分からないのだから。
日々音楽に接し、感じ考えて、表現していくこと。
時間が足りない中で無理矢理ブログを書こうとすると、ブログを更新すること自体が自己目的化してしまう。
だんだんその傾向が強くなってきたので、最近は毎日書かなくても良いかな、と少し妥協している。
ブログで「音楽活動」や「音楽そのもの」について考えたことを書いて内省し、それをまた音楽活動に還元していく。
目指しているのは、そんな循環。
その流れに乗っかってみようかな、追いかけてみようかな、という、もの好きな同志も大歓迎(笑)
とまぁ、改めて相対化し、スタンスを明確にしてみようとした次第。
うまくいくかは分からない。
日々音楽に接し、感じ考えて、表現していくこと。
とにかく今は、それが一番大事。
大事な筋肉と言われても・・・
ドラム演奏をする上で大事な筋肉に、「大腰筋」と「前鋸筋」というものがあるらしい。
四肢の動きを支えるのに重要な働きをするみたいで、黒人ドラマーはそこの筋肉がよく発達しているとのこと。
とは言われても、それらの筋肉がどこにあってどんな筋肉なのかも知らない。
本やインターネットで調べてなんとなくの部位は分かっても、今度はそれらの筋肉を体感的に知覚することができない。
人体の奥深き世界を知る。
そして、身体のどの部分を意識するかだけでも、演奏に変化が表れる。
少なくとも主観的には。
例えば最近は、バスドラムを叩く時、踵を意識している。
以前はつま先に意識があった。
つま先で叩くよりも踵で叩く方が理にかなっているのではないか?と考えるようになったからお試し中、といったところか。
音楽、そしてドラムへのアプローチはいろいろな角度からできる。
人体、そして身体論からのアプローチもそんな中のうちの一つ。
そしてこれが今、マイブームである。
身体はすぐには変わらないけれど、数ヶ月後には大きな変化が表れる予感がしている。
思いがけなく手に入れた「聴き比べセット」
居酒屋などでたまに見かけると思うのだけど、日本酒の「飲み比べセット」のようなものがある。
例えば3種類ほどの日本酒が少量ずつ出てきて、飲み比べながらそれぞれの日本酒の味の違いを楽しむという趣向のものだ。
あるいはそれは、ワインでもいいし、生牡蠣なんかでもあるかもしれない。
ビール工場の見学に行くと、ビールの飲み比べセットなんてものもある。
そうやって飲み比べてみることで、ただ一種類のものだけを味わっていた時には気がつかなかった特徴を理解できたりするものだ。
先日、昨年亡くなったブルースマン、オーティス・ラッシュの代表曲「I Can't Quit You Baby」を聴いていた。
有名曲だけあって、この曲は色々な人たちにカヴァーされている。
試みにそれを聴き比べてみようと思った。
単なる興味本位で。
その時のリストはこちら。
I Can't Quit You Baby on Spotify
いろいろ聴いてみて気づいた。
本来は、「I Can't Quit You Baby」という曲への理解を深める目的で聴き始めたのにも関わらず、これはカヴァーした人たちの特徴を理解する手段になっているなぁ、と。
オーティス・ラッシュ、ローリング・ストーンズ、ジョン・メイオール、レッド・ツェッペリン、リトル・ミルトン、ジョン・リー・フッカー。
同じ曲をいろいろな人たちのヴァージョンで聴き比べるというのは、同じ曲であるだけに、かえってそれぞれの特徴がよく現れていた。
思いがけなく手に入れた「聴き比べセット」、いや、「利き比べセット」であった。
ヒトの身体への興味は深まるばかり
アレクサンダー・テクニーク。
ボディ・マッピング。
高岡英夫氏の身体論。
音楽の演奏にまつわる身体の話から、ヒトの身体への興味は益々深まるばかり。
僕らは普段、自分の動きにいかに無意識的か、ということに気づかされる。
いや、無意識なのは問題ないのかもしれない。
実際、動物の中で自分の動きに意識的になれるのはヒトだけだろう、たぶん。
けれど、自分の動きを向上させたいと願うのならば、「自分の身体への気づき」が大いに助けになってくれるように思われる。
それから、アプローチの角度が少し違うのだけど、最近読んでいる、遠藤秀紀著『人体 失敗の進化史』(光文社新書)がこれまた面白い。
動物の遺体の解剖を通じて紐解かれる、ヒトの身体に隠された「進化の歴史」は、大きな興奮を誘う。
ヒトの聴覚にとって大事な役割を担う耳小骨が、元々は顎関節だったなんて!
魚も爬虫類もヒトも、すべての身体は繋がっている、少なくとも脊椎動物の中では。
生物の進化ってすごい!
興味は尽きず、今日はこんな本を思わず購入した。
あと一歩だけ進んでみること。
過酷な一日を終えて、体はもうヘトヘト。
けれど、それが逆に気持ちよくなってきたりもする。
最近よく思うのだけど、仕事だろうがトレーニングだろうがなんだろうが、(自分が思い込んでいる)ギリギリのちょっと先にこそ、成長、進歩の鍵が隠されている。
その風景はギリギリの先に行かなければ決して見えてこない。
あと一歩だけ進んでみること。
そこなんだよなぁ、と考えながらの家路。