サッカーは論理的なスポーツ
サッカーを観るのが好きだ。
いや、今は家にテレビもないし、一試合まるごとサッカー観戦する機会はほとんどない。
たまにハイライトをYouTubeで見るくらいか。
それでもサッカーに関する情報を読んだり、あるいはYouTubeで解説動画を見たりすることは頻繁にある。
YouTubeにあがる解説動画のなんと豊富なことか!
質量ともに充実していて驚かされる。
サッカーは論理的なスポーツである。
言葉で論理的に説明できることがサッカーの上達に大いに関係してくる。
それを僕は、現日本サッカー協会会長、田嶋幸三氏による著書『「言語技術」が日本のサッカーを変える』を読んで初めて意識するようになった。
派生して三森ゆりか氏の著書『サッカーのためのロジカル・コミュニケーション スキルアップブック』などを読んでみてそれが確信に変わった。
考える力=言葉を使う力こそが、言語力よりも体力の方が重要だと思われているスポーツの世界にあっても成功の鍵なのだと。
そしてこれは、ジャーナリズムにおいても言えることのようだ。
サッカーを語る言葉がサッカー文化を育てる。
そのサッカーを語る言葉が、「昨日の○○のあのゴール!マジでヤバくない!?」では困ってしまう。
それではきっとサッカー文化は育たない。
「昨日のあのゴール」のどこがどう素晴らしいのか?どうして素晴らしいのか?そこを分析的に語ることができて初めて観客の目が肥えるし、サッカー文化が育つのだろうと思う。
たとえば僕は、中西哲生さんのサッカー解説が好きだ。
著書『ベンゲル・ノート』のあとがきにこんなことを書いている。
“サッカーをしっかり語る”とは、誰にでも分かりやすく論理的に話すだと僕は思っています。
我が意を得たり。
そして、先ほどYouTubeの解説動画のことに少し触れたけど、サッカーをめぐる言説は論理的で思わぬ視点からの分析もあって、本当に面白い。
見入ってしまうこともしばしばである。
と、ここまで書いてきて何が言いたいのかというと、言語技術が必要なのは音楽についても言えることではないか?ということ。
音楽文化を育てるためにも。