音楽は、世界を知覚する手段
興味関心のあることはなんでもやってやろう!
基本姿勢としてはそうありたいし、そうやってきたつもりだけど、現実問題としては「時間の許すかぎり」という条件がつきまとってしまう。
限られた時間の中であれもこれもと欲張って、すべてが中途半端になってしまっている自覚のようなものを感じ始めていた。
これではいかん!
自分にとって本当に大事なものは何か?
それ以外のことに関しては一度、捨ててしまう覚悟が必要なのではないか?
そのような感じで、棚卸し期間が続いている。
ジャック・アタリ著『ノイズ』という本にこんなことが書いてあった。
音楽は、研究の対象であるばかりではない。それは世界を知覚する1つの手段でもあるのだ。
音楽を通して、これからの世界を見たい。
具体的にどんな策を打ったらいいのやら?
バンドでスタジオに入る時はたいてい、その時の演奏のいくつかを自分のiPhoneで録音しておく。
自分やメンバーの演奏を確認するため。
あるいは備忘録として。
今日は、そのようにして録っておいた、先日のスタジオの音を確認する。
新しい曲(なんと3曲も!)、ライヴに備えてセットリストを組んでのリハーサルなど。
この時の音がすごく良くて、感動すら覚える。
自分たちの演奏の音を聴いて喜んでいるなんて、「なんておめでたい思考だ」とも思うし、単なる自惚れでしかないような気もするが、良い音に反応してしまう直感には抗えない。
悪い音の時には、やはり正直に、直感的にそう反応してしまうように。
録音を聴いていて、新曲も、次の(というか明日の)ライヴも楽しみになった。
ところが。
音楽内容の充実ぶり、好調ぶりとは裏腹に、営業的には好調とは言い難い最近の状況。
多くの人に今のワリコメッツのライヴを体験してほしいと思う反面、具体的にどんな策を打ったらいいのか、正直分からない。
バンドというのはチームとしての活動、それも営利活動でもあるので、ドラッカーのようなマネジメントの視点を学ぶ必要もあるかな?などと考えるけれど、ことはそう簡単には運ばない。
そんなこんなを考えつつも、いや前向きに考えながら走り続ける日々。
勝つか負けるか?
先のことは、今はあまり考えていない。
先のことよりも、今現在に集中すること。
マルチタスクは、ヒトの集中力を妨げるが故に、逆に能率が低くなってしまうらしい。
注意力散漫。
これだけスマートフォンが広まった世の中、ヒトの注意力を削ぐものが日常的に溢れかえっている。
そういった余計な情報からいかに距離を取るか。
これから大事な要素になると思われる。
ともかく。
今現在に集中することの大切さ。
明日の練習のことよりも今日の練習。
先のライヴのことよりも次のライヴ。
2月10日(日)の東高円寺UFO CLUBと、2月11日(月)の名古屋得三。
次なるはこの2days。
勝つか負けるか?
大事な試合だ。
サッカーなどで試合勘の大切さの話をよく聞くが、それはライヴでも同じこと。
実戦を通してしか学べないこともたくさんある。
次の実戦を楽しみにしつつ、そこに向けて良き準備を重ねる日々。
『ボヘミアン・ラプソディー』という体験 〜 変容する映画体験 〜
ここのところ音楽映画が充実している。
観たいけどなかなか観にいけないという状況が続いていて、気づいたら公開が終わっていたということもしばしば。
そんな中、昨日やっと『ボヘミアン・ラプソディー』を観に行くことができた。
この『ボヘミアン・ラプソディー』という体験。
そう!それはまさしく体験と呼ぶにふさわしいものであった。
技術の進歩もあって、「映画を観る」という行為が以前のものとは全く別次元に達している。
僕にはそう思えた。
IMAXというシステムで観たからかもしれない。
二つの映写機を使って巨大なスクリーンに映し出される映像も、六つのスピーカーから繰り出される迫力のサウンドも、共に立体的。
それで観る『ボヘミアン・ラプソディー』のライヴシーンが最高だった。
目の前でライヴをしているかのようだった。
大きな会場だから、生音感ではなくマイクやスピーカーを通した音ではあるけれど、そういったライヴ会場で目の前でライヴが繰り広げられている、そんな音だった。
映像も臨場感があり、没入感があり、リアリティーを強く感じる。
一番印象に残ったのは、フレディー・マーキューリー始めクイーンのメンバーがライヴ・エイドのステージに登場するシーンで、あたかも自分がステージに上がっていってるかのようで、なんだか武者震いまでした。
あのシーンだけ観るためだけにでも、またこの映画を観たい。
そう思った。
はしご酒を経て、次のステージへと
パッと目が覚めたら、電気もつけっ放し、暖房もつけっ放し、服も着替えずにベッドに横たわる自分がいた。
「やべっ、結構眠っちゃったな、今何時だろう?」と思い、ケータイ画面に手を伸ばす。
そうして時間を見ると、驚いてしまった。
朝の5時を回っているではないか!
昨夜は、京都から帰ってきた疲れからか、確か夜9時頃にウトウトしてしまって、ちょっとだけ横になろうと思った。
そしてそのままがっつり眠ってしまったようで、一度も目を覚ますことなく朝を迎えた次第。
普段寝る時間とは違う時間帯に眠ってしまうと、大抵1、2時間もすれば少なくとも一度は目が覚めてしまうものだけど、今回は全くそれがなかった。
いかに疲れていたか。
いや、単純に睡眠不足だっただけだろうか。
京都では磔磔を出てから、三軒のはしご酒、早朝にやっと眠ったと思ったら、連絡の行き違いにより予想以上に早い時間に叩き起こされるという事態に陥ったのだから。
ともかく、たくさん寝て、さらに二度寝を重ねて体力は完全に回復した。
ところで、今回のツアーは、現状の厳しさと強力な手応え、未来への期待と希望を感じるものであった。
まだはっきりとした形が見えているわけではないけれど、バンドは確実に次のステージへと進もうとしている。
もっともっと。
もっとできるしやれるはずだ。
次の2月10日UFO CLUBと、2月11日得三をめがけて、邁進する。
伝統と革新
昨年のファンダンゴでのライヴを無事終えて、今日は大阪から京都へ移動。
磔磔でのリハーサルを終えて、宿にチェックイン、宿で休憩中という今現在の状況。
それにしても、ここ最近の京都の宿泊施設の充実ぶりには驚かされる。
安くて綺麗なところがどんどん出来ているという印象がある。
古くて新しい街、京都。
伝統と革新。
歴史と未来。
ファンダンゴでのライヴでは、日本の音楽シーンの歴史と未来を考えさせられた。
ファンダンゴの歴史と伝統。
当時のウルフルズのことなど、示唆に富んだ内容の話を聞く。
そして、ファンダンゴのこれから。
ライヴハウスもバンドも、歴史と伝統を踏まえつつ新しいことに挑戦していかなければ、やがて淘汰されてしまうだろう。
僕らにも、できることはもっとあるはずだ。
気合いが入ったところで、今夜の磔磔に備える。