ちっちゃい子らの輪投げの光景から ー トライ&エラーの大事さ ー
お彼岸ということで親戚の集まりに顔を出す。
「人間は社会的な生き物」ということで、半ば義務感を伴いながらも、しっかりちゃっかり和な会食と軽いアルコールをご馳走になる。
親戚の集まりともなると、普段接することのない、まだ就学前の子供たちもいる。
そんな彼らが、輪投げをやっていた。
本格的にやっているわけではない。
輪投げの軸に手が届くようなところから、輪っかを投げている。
けれど、そんな至近距離でも入らない。
逆に外す方が難しいんではないか?と思いつつ眺めているが、何度やっても指が引っかかってあらぬ方向に輪っかが飛んでいく。
そんな姿がまた可愛らしく、微笑ましい。
ただし、彼らは諦めない。
外しても外しても、何度も何度も、繰り返し投げる。
そのうちにだんだん、何回かに一回、輪っかが軸に入るようになる。
そしてまた、投げる。
よくまあ飽きないものだ。
そうしていくうちに、やがて、彼らの輪っかが命中する確率が上がっていく。
何度も試みる、トライ&エラー。
そしてだんだん上がっていく成功率。
彼らは何度もトライ&エラーを試みるうちに、身体の動きの精度をあげていったのだ。
この一連の動向を見ていて、新しい動きを覚えるのに、トライ&エラーは避けては通れない大事な要素なのだなぁ、と改めて思う。
それは、楽器演奏についても言えること。
ある程度楽器に習熟してくると、自分自身がやり易い方法というものが出来上がってくる。
プレイの精度が上がる。
こうして楽器が上手くなるし、それがその人自身の個性にもなる。
それはそれで良いことではある。
ところが、そこに安住してしまうと、他の方法で試すことがしなくなってくる。
特に、エラーが許されない状況に身を置くと、トライの回数が減ってしまう。
そうして、自分自身の方法に固執するあまり、新しい動きが覚えられないということにもなる。
物事には両面性があり一概に良し悪しは言えないけれど、成長を望むのにはトライ&エラーをどんどんしていかなければならないということを思わされた、今回の光景だった。
特に、エラーの必要性。
効率ばかりを求めていると、なるべくエラーをしたくないと思ってしまうけれど、エラーを避けると、それは逆に非効率なことなのかもしれない。