ひろやのブログ

バンド活動、音楽のこと、本のことなどを通して、日々考えたことの記録

取っかかり

ちょっとでも時間が空くと、ついつい本が読みたくなる。

それが何かの役に立つわけではないし、特に役立てようとも思っていない。

読みたいから読む。

ただそれだけだ。(いや、実際にはもうちょこっとだけ複雑かもしれないが…)

きっと軽い活字中毒なのだろう。

でもそうとばかりも言っていられない。

読みたい気持ちを抑えて、ようやく音楽活動に取りかかるのが、最近の流れ。

 

今日は、Mr.ワリコメッツのワンマンライヴに向けての、ちょこっと内容を深めた復習を数曲。

あとは、アニマルズ、スペシャルズTHE BIRTHDAYなどの音源を聴いたり。

ドラムマガジンでスタントン・ムーアのインタビュー記事を読んだり。

シンバルについてのDVDを見始めたり。

取りかかり始めると、エンジンがかかる。

 

「やりはじめないと、やる気は出ません。
 脳の側坐核が活動すると
 やる気が出るのですが、側坐核は、
 何かをやりはじめないと活動しないので。」

 

とは、脳研究の第一人者、池谷裕二氏の言葉。

少しずつ、音楽モードにスイッチを切り替え中。

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空白期間

最後にライブをしたのが、6月3日。

最後にブログを更新したのが、5月17日。

色々なことに空白期間ができてしまった。

ブランクがあるとなにかと支障があったりする。

忘れてしまったり。

体力が落ちてしまったり。

繋がりが分からなくなったり。

「サボってばかりいるんじゃない!一歩一歩、日々の積み重ねが大事なのだぞ!」と叱られてしまいそうだ。

 

今日、久しぶりに2時間、スタジオに入ってみっちりドラムを叩いてきた。

休むことなく2時間。

いやー、完全にバテた。

はっきり言って体力が、ドラムを叩く体力が落ちている。

これはまずい。

 

空白期間の弊害。

だが、実は悪いことばかりでもない。

まず何よりも、同じものごとにも新鮮な気持ちで取り組める。

そして、積み重ねによって出来上がってしまった固定観念を、時間を空けて忘れることで一度リセットできる。

忘れてしまうことによって、別の角度からのアプローチも可能になる。

固定化してしまったイメージからの解放。

思考の自然で自由な羽ばたき。

だから僕は、さっき叱った方にこう切り返そう。

「積み重ねばかりが能じゃない。時には積み降ろしが必要な時もある」と。

 

思い立ったが吉日。

今日からがまた、新たなスタート。

 

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雑誌からでも、ネットやライヴからでも

ちょっと前に久しぶりにドラムマガジンを買ってみた。
その中に《ビートを刻む“ドラムスメ”たち》と題された、女性ドラマーに焦点を当てた特集がある。
知らないドラマーばかりだけど、記事自体はドラムに関する内容なので、もちろん興味深く読める。
ただ、内容をより深く理解するには、彼女らの演奏を観て聴いた方が良いだろう。
そのためには、以前ならCDを買ったり借りたりしてこなければならず、お金も手間もかかったものだけど、今はYouTubeがある。
便利になったものだ。
アニカ・ニルズ、ステラ・モズガワ、ハットリクミコ(敬称略)等々、検索して動画を観てみる。
カッコいい!
そして、新鮮な発見がある。
普段だったら出会ってないタイプの音楽だったりするけど、こうしてYouTubeで検索して動画で出会うのも良いもんだなぁ。
もっと聴きたいと思えば、音源を買うこともできる。

 

先日Mr.ワリコメッツで大阪に行った時、移動中の車内でいろいろと音楽を聴かせてもらった。
その時の精神状況のせいなのか分からないが、その時は自分の心にヒットした音楽がたくさんあった。
その中の1つがドーベルマン
また聴きたいと思い、メンバーにアルバム名を確認して大阪にいる間にアマゾンで注文した。
今日それが届いたことを確認。
さっそく聴いてみた。
そうそう!これこれ!

 

音楽との出会い方には様々な経路がある。
道は1つに限らなくても、いろんな形で音楽に出会ったらいいと思う。
雑誌からでも、インターネットからでも、たまたま観たライヴからでも。
そして、偶然の出会いには新しい発見があったり新しい刺激があったりする。
いつでも新しい出会いは新鮮で、刺激に満ちたものであると再認識した1日であった。

違和感を感じてみる

「慣れ」というのはとても大切なものだ。

やはり慣れた手順は効率が良い。

練習というものは、この「慣れ」を獲得するためにするようなものだ。

だが時には、この「慣れ」から離れてみたくもなる。

普段とは違うことをしてみると、新しい発見があったりして、楽しい。

 

今日はMr.ワリコメッツでスタジオに入ってきた。

そして今日はドラムのセッティングをいじってみた。

どういじったかと言うとクラッシュシンバルを1つ減らしてみたのだ。

僕は普段、クラッシュシンバルを2枚、ライドシンバルを1枚、セッティングしてドラムを演奏する。

今日はそれをクラッシュシンバル1枚、ライドシンバル1枚のセッティングで演奏してみた。

やはり違った。

普段やり慣れた曲を演奏しても、いつもあるはずのところにクラッシュシンバルがないのだ。

そこで、別のシンバルを叩く。

あるいは、いや、ここはそもそも本当にクラッシュシンバルを叩く必要がある場所なのかどうか?

そういった根本的な問題を考えるきっかけにもなった。

いつもあるはずの場所に、あるべきものがない。

これは、ほんのちょっとした違和感だが、この小さな違和感が積もり積もって大きな変化になる。

そんな気がする。

そして、この違和感はやり慣れた曲であればあるほど大きくなる。

 

今後、今日のセッティングを採用するかどうかは分からない。

あるいはもう次回には元に戻しているかもしれない。

でも、ちょっと試してみて違和感を感じてみる、このこと自体に意味があるのだと思う。

 

そうだ、次回のライブは今週末、5月20日土曜日。

長野県上諏訪だ!

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『漣流』、草野昌一×漣健児、を読んでいる

1960年代初頭。

それはビートルズの流行が日本にもやってくる前の時代。

アメリカン・ポップスを中心とした、今で言う「オールディーズ」という音楽が日本でも流行っていた。

それらの曲に、日本語に訳した詞を乗せて歌う「日本語カヴァー・ポップス」がもてはやされた時代があったという。

その訳詞は正確な訳ではなく、大胆に意訳したものだった。

それが独特な世界を作り、のちの日本の音楽界に与えた影響は計り知れない。

その日本語カヴァー・ポップスの訳詞の中心的役割を担っていたのが漣健児である。

本名を草野昌一という。

この辺の事情を、わりと最近に知った。

ここ1、2ヶ月くらいの話だ。

そして今、和田彰二著『漣流』という本を読んでいる。

読み始める前は、この本は訳詞家としての漣健児に焦点を当てたものだと思い込んでいたのだけど、読み進めてみるとそれは最初の一部分だけで、それよりもビジネスマンとしての草野昌一に焦点を当てた本だということが分かってきた。

音楽出版、原盤制作。

これらの言葉は何度読んでも未だによく理解できないのだけど、音楽をお金にする、音楽家にとって、いや音楽業界全体にとっても重要なシステムであることは分かる。

しかし、音盤が売れない昨今、これからも重要なシステムであり続けるかどうかは分からない。

歴史を知ってこれからを考える、いい機会。

西へ西へと

まだ日が昇らない早朝に目を覚まし、眠い目をこすりながら家を出発する。

早朝にもかかわらず都内にはこんなに活動している人々がいるのかと驚きつつも電車で移動して都内某所に集まる。

そして、メンバーと合流し、車で移動を開始。

東名高速を、神奈川県、静岡県、愛知県、三重県滋賀県と、西へ西へとひたすら進む。

そして、京都や大阪へ。

移動時間はおよそ6〜7時間くらいか。

車内では、世間話から始まって、音楽一般の話、単なるバカ話、時にはライヴや活動の打ち合わせをする(こともあるかもしれない)。

その日のライヴ会場に着けば、慌ただしくリハーサルを済ませ、泊まりの時には宿のチェックインを済ませ、一息つくかつかぬかのうちにイベントは始まる。

そして、出番。

30分そこらのステージで、ここぞとばかりに全力を尽くし、終わってようやく一安心、対バンのライヴを楽しんだり、お客さんとの会話を楽しんだり、ビールで乾杯したりする。

時には深酒もしたりしてあまり寝る時間がなかったとしても、翌朝には都内へ向けて出発。

また6〜7時間とかかけて都内へと帰ってくる。

かなり体力を使うし、かかる経費を考えると収支はマイナスだ。

 

毎度そんな調子なのだけど、それでもやはり、またツアーに行きたいと思う。

何度でも行きたいと思う。

それは、そこに感動があるからだ。

好きな音楽を非日常の場でやれる感動。

それに強く反応してくれる人たちがいる感動。

そんな方々とライヴ後にコミュニケーションできる感動。

 

さて、今週末、5/6(土)。

大阪は難波メレでMr.ワリコメッツのライヴ。

どんな夜になるのか。

想いを馳せる。

 

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ヒントを得る

「音楽を演っている」と一口に言っても、どんな楽器を演奏するかによってその内容はかなり違う。

ギターなのか、ベースなのか?

ドラムなのか、キーボードなのか?

管楽器とか、ハーモニカだってあるだろう。

あるいは歌うことだっていい。

音を出すということは身体を使うということ。

より良い演奏をするには、そしてより良い音を出すには、それに見合った身体の使い方があるものだ。

青柳いづみこ著『ピアニストは指先で考える』(中公文庫)という本を読んだ。

ピアニストであり文筆家でもある著者によるエッセイ集である。

ピアノという鍵盤楽器、しかもクラシックというジャンルなので、僕の関わる音楽とは相当かけ離れていると思いきや、読んでいると「その感じ、よく分かるなぁ!」というテーマにたびたび出くわす。

世の中、違いに着目すれば違いがたくさん見えてくるものだけど、共通点に着目すれば共感できるところが多く見つかるのかもしれない。

ピアノ演奏での身体の使い方を読むことを通して、ドラム演奏向上のヒントを得る。

嬉しい時間。

 

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