ひろやのブログ

バンド活動、音楽のこと、本のことなどを通して、日々考えたことの記録

「日本のロックやポップスのみに影響を受けて自らの音楽を生み出す」という衝撃

 「00年代、10年代以降は、J-POPを聴いて育ち、洋楽にはほとんど触れず、日本のロックやポップスのみに影響を受けて自らの音楽を生み出すタイプの作り手が増えている。」(柴那典著『ヒットの崩壊』)

 

昨日これを読んで、この事実を知って、僕はかなり衝撃を受けました。

その代表例は、いきものがかりだそうです。

なぜ衝撃なのか。

洋楽を聴く事は僕にとって当たり前のことだったからです。

特に、自分で音楽を演奏したり音楽を作ったりする人は、当然洋楽を聴くものだし、むしろ聴かなければならないものだと思っていました。

邦楽は音楽のライトユーザ用、洋楽は音楽のヘビーユーザー用、そんなイメージを持っていました。

 

僕も始めから洋楽を聴いていたわけではありません。

例えば高校生の頃、つまりまだバンドをやっていなかった頃、チャート上位に来るような日本のロックやポップスばかりを聴いていました。

テレビドラマやCMで使われているのを聴いて、好きになる曲が多かった思います。

中でも好きだったのは、ミスターチルドレンとかサザンオールスターズスピッツ

 

その後バンドを始めて、「こんなにかっこいいものがある」と当時の仲間たちから教えられて洋楽を聴くようになっていきます。

オアシス、レディオヘッド、レッドホットチリペッパーズ、レイジアゲインストザマシーン…

日本のロックでも、好みが変わっていきました。

AIR、ミッシェルガンエレファント…

 

そして本気で音楽をやるならば、「やっぱり今のロックだけじゃなく、歴史を築いてきたロックの名盤を聴かなければダメでしょ!」ということで、「ロックの名盤100選」のような雑誌などの情報を手掛かりに、古い洋楽も聴くようになっていきます。

その頃になると、「日本のロックやポップスなんか聴いている場合ではない」という、今思えば偏見とも言えるほどの風潮さえ、僕の周りには出来上がっていました。

 

その後だんだん、60〜70年代の音楽にハマり、それより新しい時代の音楽を聴かなくなっていくのですが、その話はここではひとまず置いておきましょう。

なぜこんな話をしたかというと、僕にとって洋楽を聴くのがどう当然だったのかを説明したかったからです。

僕個人の事例に引きつけての話になりましたが、これはなにも僕の周りに限った話ではないでしょう。

程度の差こそあれ、日本の音楽シーンは洋楽からの影響がとても強かったはずです。

そして、世は変わり、「日本のロックやポップスのみに影響を受けて」音楽を作る人が増えてきたという。

「音楽をめぐる環境は本当にどんどん変わっていってるんだなぁ、置いていかれないぞ」などと決意のひとつでもしてくなる気分でした。

 

ワンマンライブ

ちょうど1週間前、京都にある拾得というライブハウスでワンマンライブをしてきました。
Mr.ワリコメッツというバンドで、です。
拾得は老舗のライブハウス、日本で一番古いライブハウスとも言われています。
普通のライブハウスとはかなり違っていて、大変興味深い。
築300年の、もともと酒蔵だった建物を改装したらしく、古い木造の建物で鳴らす楽器の音は最高です。

 

今回ワンマンライブをやって感じたのは、「ワンマンライブってやっぱりいいなぁ」ってこと。
僕らのような環境で活動しているバンドにとって、他のバンドと一緒にイベントを組む、いわゆる「対バン」という形式が一般的です。
中でも4〜5バンド出演というイベントが最も一般的でしょうか。
3バンドだとスリーマンライブ、2バンドだとツーマンライブなどと、わざわざ言ったりします。
イベントの時間は限りがあるので、出演するバンドの数によって自分たちがライブできる時間の長さも当然変わってきます。
ワンマンライブだと2時間くらい、2〜3バンドだと1時間くらい、それ以上だと30分くらい、こんな感じです。

 

ワンマンライブと対バンライブでは、どんな違いがあるでしょうか?
まず、ワンマンライブの場合はイベント全体を自分たちでコントロールできます(コントロールのうまい下手はあると思いますが)。
対バン形式だと、コントロールできるのは自分たちのライブ時間だけ、イベント全体は他のバンドのライブによって雰囲気が変わってきます。
また、ワンマンライブに集まる人は基本的にそのバンドが好きな人たち、少なくとも興味はある人たちですよね。
それが、対バン形式だと自分たちのことを知らない人たちもその場に集まってきます。
結局興味を持ってもらえなくてなんとなく白けた雰囲気になることもありますが、うまくハマってその後につながる偶然の出会いなんかも生まれたりします。
そして、ワンマンライブは比較的長めの時間で自分たちの世界を表現していくのに対し、対バン形式だと短い時間で自分たちの世界を表現しなければならなくなります。
複数のバンドが出演するので、他のバンドとの比較が生まれるというようなこともあったりします。

 

と、ワンマンライブと対バン形式の違いをいくつか挙げてみました。
こういうところから、音楽の現場から、僕たちを取り巻く音楽環境について考えるのは興味深いことです。
切り口はいろいろあるでしょうが、僕たちを取り巻く音楽環境のこれからについて考えていきたいなと思っています。
そして、その考えたことを表現することに繋げていきたい。
それが今回、言いたかったことです。

取っかかり

ちょっとでも時間が空くと、ついつい本が読みたくなる。

それが何かの役に立つわけではないし、特に役立てようとも思っていない。

読みたいから読む。

ただそれだけだ。(いや、実際にはもうちょこっとだけ複雑かもしれないが…)

きっと軽い活字中毒なのだろう。

でもそうとばかりも言っていられない。

読みたい気持ちを抑えて、ようやく音楽活動に取りかかるのが、最近の流れ。

 

今日は、Mr.ワリコメッツのワンマンライヴに向けての、ちょこっと内容を深めた復習を数曲。

あとは、アニマルズ、スペシャルズTHE BIRTHDAYなどの音源を聴いたり。

ドラムマガジンでスタントン・ムーアのインタビュー記事を読んだり。

シンバルについてのDVDを見始めたり。

取りかかり始めると、エンジンがかかる。

 

「やりはじめないと、やる気は出ません。
 脳の側坐核が活動すると
 やる気が出るのですが、側坐核は、
 何かをやりはじめないと活動しないので。」

 

とは、脳研究の第一人者、池谷裕二氏の言葉。

少しずつ、音楽モードにスイッチを切り替え中。

空白期間

最後にライブをしたのが、6月3日。

最後にブログを更新したのが、5月17日。

色々なことに空白期間ができてしまった。

ブランクがあるとなにかと支障があったりする。

忘れてしまったり。

体力が落ちてしまったり。

繋がりが分からなくなったり。

「サボってばかりいるんじゃない!一歩一歩、日々の積み重ねが大事なのだぞ!」と叱られてしまいそうだ。

 

今日、久しぶりに2時間、スタジオに入ってみっちりドラムを叩いてきた。

休むことなく2時間。

いやー、完全にバテた。

はっきり言って体力が、ドラムを叩く体力が落ちている。

これはまずい。

 

空白期間の弊害。

だが、実は悪いことばかりでもない。

まず何よりも、同じものごとにも新鮮な気持ちで取り組める。

そして、積み重ねによって出来上がってしまった固定観念を、時間を空けて忘れることで一度リセットできる。

忘れてしまうことによって、別の角度からのアプローチも可能になる。

固定化してしまったイメージからの解放。

思考の自然で自由な羽ばたき。

だから僕は、さっき叱った方にこう切り返そう。

「積み重ねばかりが能じゃない。時には積み降ろしが必要な時もある」と。

 

思い立ったが吉日。

今日からがまた、新たなスタート。

 

雑誌からでも、ネットやライヴからでも

ちょっと前に久しぶりにドラムマガジンを買ってみた。
その中に《ビートを刻む“ドラムスメ”たち》と題された、女性ドラマーに焦点を当てた特集がある。
知らないドラマーばかりだけど、記事自体はドラムに関する内容なので、もちろん興味深く読める。
ただ、内容をより深く理解するには、彼女らの演奏を観て聴いた方が良いだろう。
そのためには、以前ならCDを買ったり借りたりしてこなければならず、お金も手間もかかったものだけど、今はYouTubeがある。
便利になったものだ。
アニカ・ニルズ、ステラ・モズガワ、ハットリクミコ(敬称略)等々、検索して動画を観てみる。
カッコいい!
そして、新鮮な発見がある。
普段だったら出会ってないタイプの音楽だったりするけど、こうしてYouTubeで検索して動画で出会うのも良いもんだなぁ。
もっと聴きたいと思えば、音源を買うこともできる。

 

先日Mr.ワリコメッツで大阪に行った時、移動中の車内でいろいろと音楽を聴かせてもらった。
その時の精神状況のせいなのか分からないが、その時は自分の心にヒットした音楽がたくさんあった。
その中の1つがドーベルマン
また聴きたいと思い、メンバーにアルバム名を確認して大阪にいる間にアマゾンで注文した。
今日それが届いたことを確認。
さっそく聴いてみた。
そうそう!これこれ!

 

音楽との出会い方には様々な経路がある。
道は1つに限らなくても、いろんな形で音楽に出会ったらいいと思う。
雑誌からでも、インターネットからでも、たまたま観たライヴからでも。
そして、偶然の出会いには新しい発見があったり新しい刺激があったりする。
いつでも新しい出会いは新鮮で、刺激に満ちたものであると再認識した1日であった。

違和感を感じてみる

「慣れ」というのはとても大切なものだ。

やはり慣れた手順は効率が良い。

練習というものは、この「慣れ」を獲得するためにするようなものだ。

だが時には、この「慣れ」から離れてみたくもなる。

普段とは違うことをしてみると、新しい発見があったりして、楽しい。

 

今日はMr.ワリコメッツでスタジオに入ってきた。

そして今日はドラムのセッティングをいじってみた。

どういじったかと言うとクラッシュシンバルを1つ減らしてみたのだ。

僕は普段、クラッシュシンバルを2枚、ライドシンバルを1枚、セッティングしてドラムを演奏する。

今日はそれをクラッシュシンバル1枚、ライドシンバル1枚のセッティングで演奏してみた。

やはり違った。

普段やり慣れた曲を演奏しても、いつもあるはずのところにクラッシュシンバルがないのだ。

そこで、別のシンバルを叩く。

あるいは、いや、ここはそもそも本当にクラッシュシンバルを叩く必要がある場所なのかどうか?

そういった根本的な問題を考えるきっかけにもなった。

いつもあるはずの場所に、あるべきものがない。

これは、ほんのちょっとした違和感だが、この小さな違和感が積もり積もって大きな変化になる。

そんな気がする。

そして、この違和感はやり慣れた曲であればあるほど大きくなる。

 

今後、今日のセッティングを採用するかどうかは分からない。

あるいはもう次回には元に戻しているかもしれない。

でも、ちょっと試してみて違和感を感じてみる、このこと自体に意味があるのだと思う。

 

そうだ、次回のライブは今週末、5月20日土曜日。

長野県上諏訪だ!

『漣流』、草野昌一×漣健児、を読んでいる

1960年代初頭。

それはビートルズの流行が日本にもやってくる前の時代。

アメリカン・ポップスを中心とした、今で言う「オールディーズ」という音楽が日本でも流行っていた。

それらの曲に、日本語に訳した詞を乗せて歌う「日本語カヴァー・ポップス」がもてはやされた時代があったという。

その訳詞は正確な訳ではなく、大胆に意訳したものだった。

それが独特な世界を作り、のちの日本の音楽界に与えた影響は計り知れない。

その日本語カヴァー・ポップスの訳詞の中心的役割を担っていたのが漣健児である。

本名を草野昌一という。

この辺の事情を、わりと最近に知った。

ここ1、2ヶ月くらいの話だ。

そして今、和田彰二著『漣流』という本を読んでいる。

読み始める前は、この本は訳詞家としての漣健児に焦点を当てたものだと思い込んでいたのだけど、読み進めてみるとそれは最初の一部分だけで、それよりもビジネスマンとしての草野昌一に焦点を当てた本だということが分かってきた。

音楽出版、原盤制作。

これらの言葉は何度読んでも未だによく理解できないのだけど、音楽をお金にする、音楽家にとって、いや音楽業界全体にとっても重要なシステムであることは分かる。

しかし、音盤が売れない昨今、これからも重要なシステムであり続けるかどうかは分からない。

歴史を知ってこれからを考える、いい機会。