音楽ができるまで 〜あるドラマーの記録〜

日々の音楽活動を通じて、感じ、考え、行動したことの記録。 Mr.ワリコメッツ、ドラマー。

やりたいことと、求められることの間

久しぶりにブログを書いてみようと思う。

なんだろう。

急に書いてみたくなった。

書きたくなった。

書かなければならないと思った。

伏線はあった。

「発信しなければ、存在しないのと同じなのではないか?」

そのような言葉に刺激された。

そう、言葉にまみれながら過ごす日々。

 

ゴールデンウィーク明けの今日、僕らは名古屋に行ってライヴをする。

「なぜゴールデンウィーク明けなんかにやるの?」

そう尋ねられることもある。

「オファーがあったから。」

そうとしか言いようがない。

オファーを受けて、スケジュール、条件、その他もろもろ検討して、「よし、行こう!」と決めたのは僕らではあるけれど。

自分がやりたいことと、他人から求められること。

そして、理想と現実。

それらは、重なることもあるし、離れてギャップが生まれることもある。

付いたり離れたり。

あるいは、付かず離れず。

嬉しいときもあれば、辛いときもある。

充実感があるときもあれば、もがき苦しむときもある。

 

ゴールデンウィーク明けの、通勤時間帯の電車に揺られながら、たまたま乗り合わせた人たちを見て想像する。

「この人たちの理想と現実はどんなものなのだろうか?」

答えは分からない。

ただ想像するのみである。

大型連休明けの今朝だからこそ、そのギャップを感じている人も多いのではないか。

そんなことを考えながら、名古屋へと向かう朝であった。

歩みはノロいが。

あまりブログを書かなくなって久しい。

今は発信することよりも、自分の興味を掘り下げていく期間。

そのように認識し、足りない時間の中でやり繰りした結果、現状はこうなっている。

特に深い意味はない。

何の意図もない。

 

今の興味は、「音楽と身体」。

特に、「身体」への比重が高いかもしれない。

からしばらく続いている興味。

楽器を演奏するのでも、歌を歌うのでも、まずは身体を使って行なわれるのが大前提。

そして、身体の使い方一つで、その結果が大きく変わってしまう。

特にドラムという楽器の演奏は、身体との結び付きが強いように思われる。

歌というのは「身体」が楽器である、というようなことも言われる。

ともかく、身体の使い方を根本的に作り変えたいと考え、日夜研究中である。

歩みはノロいが。

音楽は、世界を知覚する手段

興味関心のあることはなんでもやってやろう!

基本姿勢としてはそうありたいし、そうやってきたつもりだけど、現実問題としては「時間の許すかぎり」という条件がつきまとってしまう。

限られた時間の中であれもこれもと欲張って、すべてが中途半端になってしまっている自覚のようなものを感じ始めていた。

これではいかん!

自分にとって本当に大事なものは何か?

それ以外のことに関しては一度、捨ててしまう覚悟が必要なのではないか?

 

そのような感じで、棚卸し期間が続いている。

 

ジャック・アタリ著『ノイズ』という本にこんなことが書いてあった。

 

音楽は、研究の対象であるばかりではない。それは世界を知覚する1つの手段でもあるのだ。

 

音楽を通して、これからの世界を見たい。

《ぶっちぎり》

昨夜はMr.ワリコメッツのライヴ。

《ぶっちぎり》という、仲間が始めたイベントに出演。

めちゃくちゃに楽しい夜だった。

フロアの反応も、ちゃんと見ていたわけではないけれど、常軌を逸した盛り上がり方をしていたように思う。

今回が3回目の“ぶっちぎり”。

もっともっと盛り上がったら良いと思う。

もっともっと盛り上げていけたら良いと思う。

次回は、3月3日(日)。

会場を新宿紅布に移しての開催。

なんとも楽しみ。

皆さま、是非お見知りおきを!

 

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具体的にどんな策を打ったらいいのやら?

バンドでスタジオに入る時はたいてい、その時の演奏のいくつかを自分のiPhoneで録音しておく。

自分やメンバーの演奏を確認するため。

あるいは備忘録として。

今日は、そのようにして録っておいた、先日のスタジオの音を確認する。

新しい曲(なんと3曲も!)、ライヴに備えてセットリストを組んでのリハーサルなど。

この時の音がすごく良くて、感動すら覚える。

自分たちの演奏の音を聴いて喜んでいるなんて、「なんておめでたい思考だ」とも思うし、単なる自惚れでしかないような気もするが、良い音に反応してしまう直感には抗えない。

悪い音の時には、やはり正直に、直感的にそう反応してしまうように。

録音を聴いていて、新曲も、次の(というか明日の)ライヴも楽しみになった。

ところが。

音楽内容の充実ぶり、好調ぶりとは裏腹に、営業的には好調とは言い難い最近の状況。

多くの人に今のワリコメッツのライヴを体験してほしいと思う反面、具体的にどんな策を打ったらいいのか、正直分からない。

バンドというのはチームとしての活動、それも営利活動でもあるので、ドラッカーのようなマネジメントの視点を学ぶ必要もあるかな?などと考えるけれど、ことはそう簡単には運ばない。

そんなこんなを考えつつも、いや前向きに考えながら走り続ける日々。

勝つか負けるか?

先のことは、今はあまり考えていない。

先のことよりも、今現在に集中すること。

マルチタスクは、ヒトの集中力を妨げるが故に、逆に能率が低くなってしまうらしい。

注意力散漫。

これだけスマートフォンが広まった世の中、ヒトの注意力を削ぐものが日常的に溢れかえっている。

そういった余計な情報からいかに距離を取るか。

これから大事な要素になると思われる。

 

ともかく。

今現在に集中することの大切さ。

明日の練習のことよりも今日の練習。

先のライヴのことよりも次のライヴ。

2月10日(日)の東高円寺UFO CLUBと、2月11日(月)の名古屋得三。

次なるはこの2days。

勝つか負けるか?

大事な試合だ。

サッカーなどで試合勘の大切さの話をよく聞くが、それはライヴでも同じこと。

実戦を通してしか学べないこともたくさんある。

次の実戦を楽しみにしつつ、そこに向けて良き準備を重ねる日々。

『ボヘミアン・ラプソディー』という体験 〜 変容する映画体験 〜

ここのところ音楽映画が充実している。

観たいけどなかなか観にいけないという状況が続いていて、気づいたら公開が終わっていたということもしばしば。

そんな中、昨日やっと『ボヘミアン・ラプソディー』を観に行くことができた。

この『ボヘミアン・ラプソディー』という体験。

そう!それはまさしく体験と呼ぶにふさわしいものであった。

技術の進歩もあって、「映画を観る」という行為が以前のものとは全く別次元に達している。

僕にはそう思えた。

IMAXというシステムで観たからかもしれない。

二つの映写機を使って巨大なスクリーンに映し出される映像も、六つのスピーカーから繰り出される迫力のサウンドも、共に立体的。

それで観る『ボヘミアン・ラプソディー』のライヴシーンが最高だった。

目の前でライヴをしているかのようだった。

大きな会場だから、生音感ではなくマイクやスピーカーを通した音ではあるけれど、そういったライヴ会場で目の前でライヴが繰り広げられている、そんな音だった。

映像も臨場感があり、没入感があり、リアリティーを強く感じる。

一番印象に残ったのは、フレディー・マーキューリー始めクイーンのメンバーがライヴ・エイドのステージに登場するシーンで、あたかも自分がステージに上がっていってるかのようで、なんだか武者震いまでした。

あのシーンだけ観るためだけにでも、またこの映画を観たい。

そう思った。