阿佐ヶ谷の夜
昨夜は、阿佐ヶ谷Muswellというライヴハウスに行き、パインズマインズとthe electersのライヴを観る。
パインズマインズは、ギター、ピアノ、ドラムという3人編成。
the electersは、ギター、ベース、ドラムという3人編成。
共に、メンバー全員がヴォーカルを取る。
「たま」を聴いて、メンバーみんなが歌うバンドってやっぱり良いなぁと思っていたところ。
実にタイムリーであった。
最近、曲作りをしているせいか、ライヴを観ていても、どんな曲であるかが気にかかる。
どんな作りになっていて、どんなことを歌っているのか?
今までだったら、そんなことはなかった。
ライヴを観るときは、曲よりもパフォーマンスの方に目が行っていたように思う。
人間、変わる時は変わるものだ。
曲を作り始めると、音楽の聴き方が変わる。
昨夜もいつもと違わず、結構飲んだ。
そして、酔った。
酔って、いろんな人といっぱい喋った。
酒と音楽と、そしてゴキゲンな人間たち。
それさえあれば、他にはもう何もいらない。
そこには全てがある。
そう思える、阿佐ヶ谷の夜だった。
パインズマインズと、阿佐ヶ谷でお会いしたすべての方々に、ありがとう!を言いたい。
世界は驚きに満ちているー 引き続き「たま」を ー
昨夜も引き続き、「たま」の音楽を聴く。
アルバムでは『ろけっと』を。
「とんかち」という曲に感銘を受ける。
「お経」、「カニバル」など、凄まじい曲ばかりだ。
そして、視覚を揺さぶるパフォーマンス。
音だけでなく映像も加わると、なお凄い!
「たま」の、異様な世界観がもっともっと、ヒシヒシと伝わってくる。
願わくば、生のライヴで観たかった。
芸術が爆発している。
才能が爆発している。
そして昨夜、本を読み、曲を聴き、動画を観ている最中、Mr.ワリコメッツの7月の名古屋の詳細の連絡が主催者からきた。
「たま」の世界観に興奮している上に、さらに興奮を誘う情報。
もう頭の中は最高潮!とばかり、感情がうまくコントロールできない。
興奮の渦。
世界は驚きに満ちている、少なくとも音楽をやっているかぎりは。
「欠点は、武器ですからね。」
知久さんの発言だ。
頭が混乱している。
感情が、うまくコントロールできない。
世界は驚きに満ちている。
「たま」を聴き始めるー 世界は、広い ー
ちょうど1ヶ月くらい前だったろうか。
ライヴハウスで会った知人と、「(たまの)知久さんって、良いよね!」というような話をして、それがきっかけとなって、「たま」の音楽を改めてちゃんと聴いてみようと思っていた。
なかなか手付かずだったけれど、ようやくまとめて聴き始めた。
まずは、「犬の生活」というアルバム。
しょっぱな、「リヤカーマン」という曲から、すごい衝撃を受ける。
「なんなんだ、この曲は!」
「なんか変!だけど、すごい曲だ!」
どうして、そしてどうやったら、こんな曲が作れるんだろう?
同時に、「たま」に関する本も読み始める。
今まで全く知らなかった、デビュー前の経歴のことなどを知る。
「甚六屋」など。
平たく言えば、アンダーグラウンド。
憧れる。
こうした環境も、「たま」のような音楽が生まれる一因だったのだろうか?
「たま」のような音楽を作ってしまう人たちだったからこそ、そんな環境を生み出してしまったとも言えるかもしれない。
バンドメンバー全員が、作詞・作曲をし、メインで歌えるのがまた良い。
ビートルズへの類推。
世に溢れる、良き音楽の大海原。
世界は、広い。
ひとまずの完成。心もとないが。
今日は1日、曲作り。
ああでもない、こうでもないと考え抜いて、ひとまずの完成をみる。
とは言っても、歌詞とコードとメロディーくらいなもの。
また手直しを加えたい部分も出てくるだろう。
良い感じかどうかは分からない。
今は視野が狭くなってしまって、判断がつかない。
いつまでも進まないので、クオリティーは置いておいて、ひとまず完成させることを重視した。
曲を作るのって、歌を作るのって、やっぱり大変だ。
それを実感しただけでも一つの進歩と、前向きに捉えておこう。
時間を置いて、また聴きなおしてみよう。
今日はバンドでのスタジオ。
そうこうしているうちに、遅刻してしまいそうだ。
急げ!
早くも、挫折しかかっている
時間が経つのは、本当に早い。
やりたいと思っていてもなかなか手が付けられず、気がつけば放置したまま、ただ時間ばかりが過ぎているということもしばしばである。
ブログに、曲を書きたいと思っているというようなことを書いたのはいつのことだったろうか。
曲作り。
これもそんな放置されてしまったことのうちの一つである。
そしてここ2、3日、ようやく曲作りに取りかかり始めている。
そして、曲のネタをずっと考えている。
自由になる時間はそれほど多くはないが、その少ない時間でずっと考え続けている。
物事には、時間をかければかけるだけ、その分成果が上がる作業がある。
かと思えば、時間をかけても必ずしも成果が上がらない作業もある。
曲を作るという行為は、この、必ずしも成果が上がらないタイプの作業の方である。
時間をかければ成果を上げられる人もいるかもしれないけれど、僕にはそれができない。
少なくとも、今のところは。
なかなかアイデアが形にならない。
アイデアが一つ浮かび、それが何とか形になりかけても、「いや、なんかいまいちだなぁ」とか、「これはどっかで聞きたことがありそうだなぁ」となって、ボツになってしまう。
そしてまた白紙に戻り、一からのやり直し。
「産みの苦しみ」なんて言葉もあるけれど、今はそんな状態なのだろうか?
いや、今の現状からすると、まだそこまでも行っていないように思える。
「産みの苦しみ」という言葉でさえ、実情からかけ離れていて、カッコよく表現しすぎている感じがする。
うむ。
曲作りって、難しいなぁ。
早くも、挫折しかかっている。
人に会うこと、喜んでもらうこと
つい先日の週末のことを振り返る。
渋谷〜原宿間にある、Galaxyでのイベント出演。
吉祥寺ブラック&ブルーに行って、ただただ楽しんだライヴイベント。
そこでは、いろいろな人たちに会い、話をした。
別の機会にライヴハウスで会い、この度初めてMr.ワリコメッツのライヴを観てくれた方々。
以前ワリコメッツのライヴを観たことがあり、今回たまたま、また観る機会を持つことになった方々。
対バン経験があって、久しぶりにライヴを観てくれた人たちもいた。
もちろん、慣れ親しんだ仲間もいる。
ただ遊びに行ってこっちは楽しんだだけなのに、久しぶりにあって、「今度ツーマンやるんでしょ?行こうと思ってる」と言ってくれる人たちも少なからずいたし、そこまで具体的でないにしても「またワリコメッツを観たい」というコメントだけでも、嬉しかった。
それから、ワリコメッツがどうとかは関係なく、久しぶりに会って交友を深められた方々。
会って話をするのは初めてだけど、ただなんとなく話し始めて交友を持った方々。
ライヴハウスという音楽の場には、いろんな人たちが集まる。
いろんな人たちが集まってきてこそ、音楽の場も活気が満ちたものに変わり、活性化する。
「人は1人では生きていけない」という、ごくありふれた言葉も、こういう場にいてこそ、やはり大事だなと実感する。
こういう人たちに会って交友を持つと、音楽をやっていて良かったな、と思う。
ついでに言うと、お酒を好きで良かったな、とも思う。
それは、お酒を飲むことの、単なる言い訳かもしれないが。
とにかく、より多くの人たちに喜んでもらいたい。
人に会うことが僕にとって何らかの意味を持つのと同じように、人が僕らの音楽に何らかの意味を見出してくれたら嬉しい。
それが、今僕の、音楽への情熱の原動力となっている。