無意識の領域に「記憶」させて
しとしとと雨が降る、久しぶりに寒い朝。
いつもよりも遅い時間の目覚め。
いや、それは朝とは呼べないような時間。
目覚めるとすぐに、様々な活動をはじめる。
遅い起床で失ってしまった時間を取り戻そうとするかのように。
音楽を聴く。
曲を覚える。
本を読む。
洗濯したりとかの、日常的な雑務も含まれる。
何もこんな日に洗濯なんかしたくはないのだけれど。
最近、「記憶」することの大切さを切実に感じる。
たとえば、ドラム。
どんなフレーズを演奏しているかはもとより、そのフレーズをどのように身体を使って演奏しているのか?どんなニュアンスで演奏しているのか?
そういったことを知り、覚えて、自分でも真似して演奏してみる。
これがどんなに有効なことか!
真似して自分の身体で試してみたことは、脳の無意識の領域に記憶されていく。
そうして無意識の中に記憶されたものが、ドラムの演奏中に不意に顔を出す。
意識的にせよ、無意識的にせよ。
人目に晒されて逃げ場のないライヴという場にいるときには特に、その無意識の中に記憶されて突然顔を出してくるものが、大いに自分を助けてくれる。
そんな場面がたびたびある。
音楽であれ本であれ、もっともっといろいろ聴きたいし、もっといろいろ読みたい。
知りたいことが山ほどある。
覚えたいものが山ほどある。
そうして知って覚えて、自分の中で咀嚼し、それを元に作ったり表現したいものが山ほどある。
時間は有限。
限られた可能性の中で、想いばかりが募っていく。