昨夜はスタジオ
昨夜は、Mr.ワリコメッツのスタジオに入ってきた。
8/13、京都拾得で決まっているワンマンライヴを念頭に、普段演ってない曲を久しぶりに合わせてみたり、新曲にチャレンジしてみたり。
最近、ドラムを叩くのがすごく楽しい。
詳細は省くが、自分の中でリズムの捉え方に変化がおとずれていて、それを意識しながらいろいろ試すのがマイブームなのだ。
なんとまぁ、マニアック。
単なる自分なりの楽しみだけなのかもしれない。
でも、まずはそれでもいい。
音楽は、バンドは、チームワークが大事であるけれど、それとともに確固とした自分の世界を築くことも大事だと思う。
それぞれの世界観を持ち寄ってこそのチームワークなのだと考えている。
京都拾得でのワンマンライヴで、最高の演奏をする。
それをリアルにイメージしつつ、日々音楽に取り組んでいこう。
今日もまた
ある曲を覚えて繰り返し練習する。
同じフレーズを何度も何度も練習する。
そうすることによって1つのことに習熟していく。
次から次へといろんな曲を聴いていく。
何かを身につけようとか覚えようとかするでもなく、多くの情報にどんどん身をさらしていく。
それらはそれぞれ、「深さ」と「広さ」を追究するアプローチ。
できることなら、両方ともを追い求めたい。
けれど、同じことを繰り返すと飽きてきてしまうというのも人情。
工夫が必要だ。
そんなことを考えながら、今日もまた、未だ出会わぬ曲や本を求めてしまう僕がいる。
音楽とカラダ
今日は大きな予定もなく、片付けなければならない用事をさっと済ませて、あとは読書に多くの時間を使う。
なんて嬉しい1日なんだろう。
青柳いづみこ著『ピアニストは指先で考える』を読んで、改めて「音楽と身体」というテーマについて考えさせられている。
曲げた指で弾くのか、のばした指で弾くのか?
椅子の高さや楽器との距離、それに伴う姿勢の変化。
身体や指の柔軟性、脱力の感覚による、音への影響。
それらは、僕の演っている楽器、ドラムの演奏にも通じる話である。
「ピアノでは、どの方向にタッチするかというのはあまり話題にならないことが多いが、これも表現に大きく関わってくると思う。手首を上げながら弾くアップ奏法は、余分な重さがかからず、やわらかい音が出せる。ダウン奏法は手首を下げながら弾くので、重さが十分にかけられる」(青柳いづみこ著『ピアニストは指先で考える』文春文庫、p88)
ドラムの演奏にも、このアップ、ダウンというのは使われる。
スティックを高い位置から振り下ろして打面を叩いたあと、スティックを低い位置で止めるのがダウンストローク。
その低い位置からスタートして打面を叩き、リバウンドを利用してスティックを高い位置まで持っていくのがアップストロークである。
引用部分がそのままドラム演奏に当てはまる訳ではないが、同じ音符でも奏法によって出てくる音が違ってくるというのが大切なところ。
今ライヴでよく演奏している曲たちも、身体の使い方という視点から見直してみようと思った次第。
大事な宝物を受け取る
昨日は朝から音楽「関連」活動。
まずは、レコーディングエンジニア、パンジー関さん宅にてコーラスなどのレコーディングをする。
1月から少しずつ進めている、Mr.ワリコメッツの新しい音源のためのもの。
全部録り終わるまでにはもう少し時間がかかるか。
コーラスをレコーディングしてはっきりと目前に突きつけられる事実。
それは、歌えない自分。
訓練すべし!
昼には、野方にあるスタジオへ移動。
5/27(土)に出演させてもらうイベントの打ち合わせというか、リハーサルというか。
予定があって一部欠席のメンバー(ワリコメッツのギター、メッシもそのうちの1人)もいるが、代々木バーバラで開催されるそのイベントの出演者が集う。
詳しい内容はまた後日書くとして、「コラボレーション」というのが、イベントの主旨、内容であり、こうしたリハーサルが必要になってくる。
その後、とある場所に移動して、そのイベント用の写真撮影。
撮影が終わって解散、今度は1人で浅草に移動。
浅草Gold Soundsというライヴハウスに、ワリコメッツも何度か出演させてもらっている【魔界大宴会】というイベントに遊びに行く。
イベントのスタート時間には間に合わなかったけど、FUCK GETS→恋をしようよジェニーズ→マヤーンズ→イヌガヨ→騒音寺→KiNGONSと素晴らしいステージが続く。
長丁場だったけど、時が経つのはあっという間。
そして、大いに刺激を受ける。
特にイヌガヨのステージが圧巻だったなぁ。
あえてこんな表現をするが、「イヌガヨ、やべぇ」だった。
そして、大事な宝物を受け取る。
8/13(日)に京都拾得で開催の、「Mr.ワリコメッツ ワンマンライヴ」のチケット!
気づけばもう4ヶ月後。
1日も無駄にできないと気が引き締まった次第。
テレビがない
僕のうちにはテレビがない。
必要性がないと思っている、どころか、邪魔なものがないだけ快適だと感じている。
いや、それはテレビのせいではない。
文句を言いたいわけでもない。
個人の趣向の問題で、良い悪いは関係がない。
それはともかく。
テレビがないことによって、だいぶ世間ずれしてきている気はする。
たとえばスポーツに関する話題では、WBCはいつの間にか終わっていたし、横綱が痛みを堪えて出場し優勝した、授賞式には感動した云々というような話題を知人から聞かされて初めて知った。
されど、それらは知らずとも良し。と思っている。
大事なのは本質をつかむこと。
本質をつかんで、それを自分なりに考えながら消化し、表現すること。
そう思って日々を過ごしている。
問題は、時間が足りない(と感じている)ことだよなぁ。
社会と、ロックと
社会の中で、僕らが関わっているロック音楽はどんな役割を担っているのだろうか。
それは、時の流れとともに時代が移り変わっていくように、変化していくものだろうか。
少なくとも、僕がロックという音楽に出会った頃と今現在とでは、その役割が変化しているように見える。
だけどもそれは些細な変化で、人間のやることはもう何百年、何千年も本質的には変わってないとも言える。
こんなことを考えるのは、渡辺潤著『アイデンティティの音楽』という本を読んだから。
ふとすると忘れてしまいがちだけれど、僕らはロックという音楽を通して、社会の中での自己の存在を学んできた面が少なからずある。
あるいは、本の中にもビート世代の話があったが、それらにリアルタイムで影響を受けた世代の小説を通して、自己を考えるきっかけもあっただろうか。
社会とロック、あるいはロックンロールとの関係性。その中に生きる僕たち。
久しぶりに観た映画、『パイレーツ・ロック』もそのことを考えるきっかけになった。
そんなことを考えながら、今日も明日も音楽をやっていく。
親密な空間とシビアな空間
しばらく間が空いてしまった。
久しぶりのブログ。
一昨日18日は、大阪で知り合って仲良くさせてもらっているバンド、モンスターロシモフのワンマンライヴを観に、高円寺ペンギンハウスに行ってきた。
なんとも親密な空間。
ライヴハウスというより「家」、あるいは「部屋」と言っていいような場所に、モンスターロシモフを大好きな人たちばかりが集まってワイワイガヤガヤと楽しむ。
それはそれはとても温かい空気に包まれて、モンスターロシモフのロックンロールは熱くゴキゲンだった。
良いモノを観せてもらって、自分たちのワンマンライヴも頑張ろうと思った。
昨日19日は、下北沢GARAGEにてMr.ワリコメッツのライヴを演ってきた。
ワリコメッツにとっては初めての出演だったのだけど、個人的には昔、自主企画イベントを打つくらいにはお世話になったライヴハウスで、出演するのは10年以上ぶり。
久しぶりの出演がすごく嬉しかった。
駅からガレージまでの道のりを懐かしみながら歩きつつ、周辺の街並みがだいぶ変わったことにも随分驚いた。
10年ひと昔とはよく言ったものだ。
ガレージに到着して、フロアが思ったより広いことにも驚く。
人の記憶って、本当にあてにならない。
ライヴは、普段とは違う場所、環境で演っているのだということをヒシヒシと感じる夜だった。
前の日に観た親密な空間とは対照的な、シビアで緊張感のある空間。
最近は、親密な空間でのライヴが増えてて、それはすごくありがたいことだと思うのだけど、そればかりでもダメなのだと思わされた。
厳しい環境が人を育てる。
いま、「やってやろう」という気持ちが強くなった!