窮屈な状況でお酒を飲んで、果たして楽しいだろうか?
緊急事態宣言が解かれ、世界は少しずつ元に戻ろうとしている。
けれど、ことはそう簡単ではない。
それは分かっている。
それでも前に進まなければないない、とぼくは思う。
そう、前に。
今、「前に」と書いた。
けれど、「前」がどこにあるのか、実はほとんど見えてない。
たとえば居酒屋のような飲食店。
お客様に安心してご利用していただけるように、と様々な対策を施す。
マスク着用の義務化。
入店時の検温の実施。
手指の殺菌の協力。
ソーシャルディスタンスのための、仕切り板の設置。
新型コロナ対策として、どれも間違った対応策ではないだろう。
しかし、と思う。
どこか窮屈さを覚えないだろうか?
飲食時はあまり喋らないことを推奨する、というようなことも言われている。
そんな窮屈な状況でお酒を飲んで、果たして楽しいだろうか?
そこまでして飲みたいだろうか?
ひとつ断っておくと、世に言われる「ソーシャルディスタンス」対策を批判するつもりは全くない。
書簡を述べているだけだ。
話を戻すと、これらは「前」進むために、可能なかぎりの対応策をとっているにすぎない。
だがこれは、飲酒文化にとって前に進んでいることになるのだろうか?
「前」とはどこか。
さて、では音楽文化についてはどうだろうか?
今朝は「ライヴハウスは原則着席で」という報道が出た。
人と人との距離はどうするか?
マスクの着用は?
ライヴ後の、ライヴハウスでの歓談や飲食は?
そして、対応策で窮屈な状況になったとして、それでもやはりライヴハウスでのライヴは楽しいだろうか?
音楽文化にとって前に進んでいることになるのだろうか?
そしてやはり、「前」がどこなのか分からなくなってくる。
ちょっと話がまとまらなくなってきた。
ライヴハウスの営業や補償の話はまた別として。
音楽文化、ライヴ文化を考えた時に、「どうするのがベターなのか?」、思考の過程を書きすすめてみたが。
考えがまとまらない。
一応、そのままの状態で書き残してみる。