それでも音楽の話をしよう

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『ビートルズ・アンソロジー エピソード1』

これを機にビートルズのアンソロジーをDVDで観ることにした。

まずは「EPISODE 1」から。

「1940年7月〜1963年3月(ザ・ビートルズ誕生)」とサブタイトルが付いている。

リンゴ、ジョン、ポール、ジョージの4人の生い立ちから始まり、それぞれの出会いがあり、バンド結成があり、プロとしてのハンブルク時代があり、レコードデビューがあり、初のNo. 1ヒットが生まれるまでのストーリーだ。

 

印象に残ったところを書き記しておこう。

まずはポールがギターを手に入れたばかりの頃。

AとEというコードは知っていたけれど、B7の押さえ方が分からなかった。

そこで、誰か知っている人はいないかと、リヴァプール中を探し回る。

そして、知っている人を見つけて、押さえ方を教えてもらい、覚えて帰って、仲間にB7を「ドヤ顔」で披露したという。

そこには、情報が少ないが故の感動がある。

 

次に、ビートルズハンブルクでの仕事を終えてリヴァプールに戻ってきた時のこと。

当時、リヴァプールにいるバンドは皆、シャドウズみたいな音楽をやっていたという。

そこへハンブルクで鍛えられたビートルズが戻ってきた。

そのワイルドな演奏はリヴァプールっ子の度肝を抜いたという。

衝撃的だったからこそ、キャヴァーンクラブでのギグに、口コミで人が集まってくる。

 

そして、もう一つ。

「ラヴ・ミー・ドゥ」の小ヒットの後、プロデューサーのジョージ・マーティンは「次はNo. 1ヒット曲が必要だ」と考え、職業作曲家の作った曲をビートルズに歌わせようとする。

ところがビートルズはその提案を突っぱねる。

そして、自分たちの作った「プリーズ・プリーズ・ミー」を録音し、めでたく1位に輝く。

強力なオリジナル曲を作る力があったからこそ、ビートルズビートルズたり得たのだ。

 

それと、ビートルズが憧れ、めちゃくちゃいっぱい演奏したであろう、ロックンロールの名曲たちがふんだんに使われているのも嬉しい。

改めて、1950年代のオリジナル・ロックンロールに、憧れの気持ちを抱く。

 

続く。