たまには目を閉じよう!
ここのところ、『真実のビートルズ・サウンド』という本を読みながらビートルズを聴きなおしているのだが、時々、読む方に熱中してしまって聴くことがおろそかになってしまうことがある。
読みながら聴いた方が効率もいいだろうということで、ながら読書というか、ながら音楽鑑賞というか、この「ながら」をやってしまうのだけど、やっぱりこれは逆効果なのではないだろうか。
そう思うことがたまにある。
最近では、マルチタスクはダメだということで、シングルタスクの重要性が説かれる言説も増えてきているような気もする。
今、「読む」と「聴く」との「ながら」のことを書いた。
では、別の場合はどうだろうか?
たとえば、「見る」と「聴く」との「ながら」を考えてみようか。
「見る」と「聴く」との「ながら」ではどんなものがあるだろう。
写真を見ながら音楽を聴く。
これはなんとなく良さそうだ。
もっと「ながら」の距離を縮めてみよう。
演奏するシーンを見ながら、演奏されている音楽を聴く。
うむ。
動画のような状況か。
これはあまりにも自然で「ながら」には入らないのではないか?
そういう声もあるかもしれない。
でも、ちょっと想像してみよう。
目を閉じて音楽を聴く場面を。
より音楽を聴くことに集中できないだろうか?
音楽に集中して、音楽からどんどん想像が広がっていくかもしれない。
見ないことによって、逆に演者の動きを想像できることもあるかもしれない。
いずれにせよ、視覚を遮断すると別の感覚が鋭敏になるのではないだろうか?
そんなことを考えながら、この情報社会のことを思い浮かべてみる。
今の世の中、情報収集は大事で必要なことではあるけれど、SNSに代表されるように、入ってくる情報量が多すぎるきらいがある。
特に最近のような非常事態では。
情報の多さに翻弄されているような気がする。
なにが大事なことなのかが分からなくなって、情報収集の逆効果になってないか?
たまには目を閉じてみてもいいのではないか?
目を閉じて、別の感覚を研ぎ澄ますことに目を向けてもいいのではないか?
そんなことを考えた。