スタジオ、音楽の捉え方の変化
一昨日の22日、サポート参加しているSTEPPEN STONEでスタジオに入ってきた。
そして、今日さっき、Mr.ワリコメッツでスタジオに入ってきた。
あまりにも率直な言葉だけど、最近、スタジオがとても楽しい。
スタジオに入る前は、意外と不安になったりすることもあるけど、集まったメンバーと音を出していると自然と楽しくなってくる。
「楽しい」と表現すると語弊があるかもしれない。
何も考えてない印象の語感がある。
逆だ。
スタジオに入ると、たくさん考えることができて楽しい。
最近、音楽の捉え方が変わってきた。
抽象的な話になってしまうが、音楽を俯瞰して見ている感覚がある。
以前は演奏している自分にいっぱいいっぱいになっていた。
演奏するフレーズに囚われていた。
周りの演奏(の印象)に囚われていた。
曲(の構成)に囚われていた。
正しい(とされる)テンポに囚われていた。
それが今は、自分がどこにいるのか分からないような、不思議な感覚に落ち入る。
一歩離れたところにいる。
なんだかオカルトチックになってきたからこの辺でやめておこう。
今感じている感覚を書き残しておきたかっただけだ。
読んでいた本にこんな言葉があった。
「これを音楽に置き換えると、とてつもなく密度の濃い作品というのがありますよね。モーツァルトでもベートーヴェンでもワーグナーでも、シェーンベルクでもいいですが(中略)これに向き合っているときの時間の流れにおける精神現象の密度たるや、すごいものじゃないですか。(中略)つまり、あれは音楽だと思って聴いているけれどそうではなくて、世界を受けとめる、考える密度だと思うのです。」(茂木健一郎/江村哲二著『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書)
閑話休題。
僕らバンドマンにとって、提供できる主要な価値は「ライヴ」という体験と、「音源」という作品だと考える。
他にもあるだろうけど、他は枝葉末節だと、あえて言ってしまおう。
そして、今年はそれらを面白いカタチでどんどん提供していけそうだ。
まずひと山は、夏頃になる予定。
すごいことになるよ!という、希望的観測を述べたところで、今日はおしまい、おしまい。