それでも音楽の話をしよう

音楽の話題を中心に、アイデア、ひらめき、日常を書き記していきます

いつもとセッティングを変えて

訳あっていつもとセッティングを変えてドラムを叩いてみる。

叩ける場所を一つ減らして。

きっとどこかで必要になるから。

正確な再現ではないけれど、シュミレーションだけはしておかなければ。

 

セッティングを変えてみると、同じ曲を演奏していても見えてくる景色が違う。

すっぽり空間ができて文字通り「見え方」が違うのだけど、話はそればかりではない。

曲へのアプローチというか、理解の仕方というか。

プレイの仕方というか。

そんなこんなが全然変わる。

いや、実際にはちょっと違うだけなのかもしれないけれど、そのちょっとした違いがキッカケとなって結局、全然別のところに連れて行かれてしまったような。

そのような違い。

 

いつもと違うセッティングでのお試しプレイ。

面白かった。

きっと役立つことを願って。

 

習慣化すること

毎日続けていれば上達することも、ちょっと休んでしまうと現状維持どころか退化してしまう。

それはドラムでも、歌うことでも、そして文章を書くことでも。

しばらくほとんど文章を書いていなかった。

すると文章が書けなくなる。

上手いとか下手とかそういうレベルの話ではない。

何を書いていいのやら、何も書き出せなくなってしまう。

そんなことを強く実感して、無理やりにでもブログを書こうと思った。

できれば毎日のように。

書くことを習慣化すること。

それが今、このブログを書くことの目標である。

 

ちなみに、歌うことに関しても今日、退化を目の前に突きつけられた。

もっとまともに歌えるようになりたくて、ちょっと前までしばらく歌うことを日課にしていた。

短時間、しかも軽めにしか声は出せないけれど、それでもほぼほぼ毎日のように続けていた。

ところがここ一週間くらい、ツアーや忙しさのためにそれが途切れてしまった。

そして今日声を出そうとしたら、声が出ない。

特に、高音が出ない。

「サボったからだ」とすぐに理解した。

日々成長。

道のりは険しい。

僕の主観

今日のライヴ。

なんだか気持ちがよかった。

途中ちょっとバテたけど、新宿レッドクロスで鳴らす僕らのロックンロールは気持ちがいいな、と思えた。

実際の内容がどうだったかまでは知らない。

とにかく気持ちがよかったのだ。

それが僕の主観。

それでいいじゃないか。

 

フロアの盛り上がり方がすごかった。

忘れてモーテルズのステージも凄まじかった。

大いに刺激を受けた。

もっと頑張ろうと思った。

もっと頑張りたいと思えた。

人の反応はひとまずここでは置いておこう。

人気があろうがなかろうが、自粛だろうがなんだろうが、とにかく音楽は僕らを裏切らない。

入れ込めば入れ込むほど、それは姿形を変えて僕らにいろいろな世界を見せてくれるのだ。

もっともっと。

それが今の気持ち。

 

やはり楽しみである。

昨日に引き続き忙しい1日だった。

それでもなんとかスタジオには行き、1時間半のドラム個人練習だけはした。

ウォームアップを軽めに済ませて、明日のライヴでやる予定の曲の復習というか予習というか、ともかくライヴの準備をする。

明日は久しぶりにちょっと長めのセット。

人前で初お披露目の曲もある。

 

やるべきことはやった。

あとは当日、本番を楽しむだけ。

当日というか、日付変わってもう今日の話ではあるが。

その時、その場で感じた直感を信じてプレイに活かす。

直感を元に文字通りプレイする。

遊ぶようにプレイする。

それがライヴの醍醐味だ。

 

月並みな言葉ながら、やはり楽しみにしていた1日を迎えようとしている。

自分との約束

ここにきて急に時間の足りない日々が続くようになった。

ステイホーム的なアレで「暇ができてしまった時の日課」を、今後も続けていきたいがためにおこる、矛盾である。

音楽にかぎらず、何かを習得するには日々の積み重ねが必要なのだけど、そのためにはやはり時間を作らねばならない。

そこにある、ジレンマ。

 

という1日を終えて、なぜだか急にブログを書きたくなってしまった。

そして書く。

徒然なるままに、書く。

なぜかは分からぬ。

それでも書く。

あるいはこれも一種の現実逃避なのかもしれない。

 

忙しくとも、スティックワークやフットワークの基礎、発声のエクササイズ、ピアノ練習、そして音楽を聴くこと、それらを継続していくように。

自分との約束。

憧れの音が聴こえてきたら

去年の5月くらいだったか。

レコーディングというものに興味を持ち始めて、自分の持ち合わせ機材とスタジオで借りられる機材だけで、なんとか独力で録音できないものだろうか?といろいろ調べたことがあった。

気楽に重ね録りができて、かさばらなくて、その分機動力が発揮できて、しかも安価でいける。

世の中、そんなに都合よくできていないことは百も承知。

だが、デジタル化が進んだ現在、工夫次第でできることが増えていることも確か。

調べた結果、その時の課題はiPadでも使えるオーディオインターフェースが必要だということだった。

比較的安く買えるものを見つけたので、早速それを購入したところまではよかった。

その他にも細々とした接続機器が必要だったために保留にしていたら、そのまま録音への熱が冷め、買ったオーディオインターフェースも寝かした状態になっていた。

 

それから半年以上が過ぎ、最近また、ドラムの音を自分で録ってみたいと思い立った。

ライヴがキャンセルになったりして急に時間が空いたのも、その要因になったかもしれない。

細々とした接続機器を買い、ようやく昨日、今日とスタジオでドラムの音を録音してみることができた。

立てるマイクは一本。

何十年も前のやり方だ。

僕が好きな時代の音楽のように。

iPadオーディオインターフェースという現在の機器を通して、憧れの音が聴こえてくるかもしれない。

そんな期待を胸に。

ボブ・ディランが強く訴えかけてくる

ボブ・ディランが強く訴えかけてくる。

なんだか分からないが、なにかを強く訴えかけてくる。

 

ボブ・ディランはずっと前から聴いていた。

だがそれは義務感というか、やはり聴いておかないとまずいよね、ということで聴いていたような気がする。

ボブ・ディランの魅力はやはり歌詞にあって、英語が分からなければボブ・ディランの本当の魅力は分からないのだ、などと勝手に決め込んでさえいた。

だが、どうやらそうでもないようだ。

もちろん、ボブ・ディランの音楽は時期によって違う。

活動時期によって歌も曲もバックの演奏も、全然違う。

僕が最近聴いているのは1960年代の中頃、ディランがフォークを離れ、ロックに接近した時期だ。

アルバムで言うと『Highway 61 Revisited』や『Blonde On Blonde』という、いわゆる名盤中の名盤であり、ボブ・ディランのキャリアの中でも代表作中の代表作である。

あいかわらず、僕は英語が分からない。

けれど、以前とは違って、魂の奥底を鷲掴みにされるような何かを、今感じている。

特に『Blonde On Blonde』収録の曲たちに。

それがなぜなのかは、分からない。

それがなになのかも、残念ながら分からない。

ただ、ボブ・ディランの声を、言葉を、そしてバックのオルガンやスネアの音を聴いていると、なにか強く訴えかけてくるものがあるということだけは分かっている。