練習方法を考える
「究極の鍛錬」とは、①上達のために必要な要素を認識し、限定し、改善していくように特別考案されたものであること。②何度も繰り返すことができること。③フィードバックが継続的にあること。④精神的にはとてもつらいこと。⑤しかも、あまり面白くないこと、だという。(ジョフ・コルヴァン著『究極の鍛錬』より)
今週末13日は、上諏訪で開催される【SUWA ride on】というサーキット・イベントに、Mr.ワリコメッツで出演する。
その準備も兼ねて、今日はスタジオに行って個人練習をしてきた。
とは言っても、ライヴでやるような曲を練習するのはわずかな時間。
ウォーミングアップみたいなものだ。
代わりにほとんどの時間を、iPhoneから流す曲に合わせてドラムを演奏するという、練習なのか遊びなのか分からないようなことに、費やす。
これはこれで良い練習だと、実は思っているけれど、先ほどの「究極の鍛錬」とは好対照をなす。
練習方法はこれで良いのか?
もっと良い練習はないのか?
先ほどの「究極の鍛錬」を見て、練習方法を考えるきっかけを与えられている。
たとえば、ここ数日取り上げている、グリーン・デイの「バスケット・ケース」も、今日は演奏してみた。
曲を何度か聴いてイメージはできていたから、なんとなくの流れでは演奏できる。
そして、曲に合わせて演奏してみると、これが実に楽しい。
「音楽をやってるんだぞ!」と単純に楽しい。
けれど、フレーズが細かくなるところは、同じように演奏することはできない。
そしてここは、何度も流れで演奏してみてもできるようになるとは思われない。
この部分だけを取り上げて、細かく分析して、理解できたら演奏をゆっくりから始めて、次第に元のテンポに戻す。
そのような作業が必要なのではないか?
とここまで書いて、こんなことを考えていたのか、と自分でも驚いている。
書くことは考えること、とはこういうことか。
なんだか支離滅裂な文章だけど、「練習方法を考えることは上達のためには大事な要素だ」という気づきを得たという話。