古本屋にまつわる記憶が蘇る
家の近所に、古本屋さんがある。
中古CDなんかも置いている店で、某大手のチェーン店ほど大規模ではないものの、同じようにキレイな本が、キレイに分類されて、やはりキレイに並べられている。
僕は本が好きだ。
帰宅途中に、何を探すでもなく、ただなんとなくその店に吸い寄せられるようにして入ってしまうことは日常茶飯事。
中学生の頃からだろうか、その頃住んでいた家の近所にあった古本屋に、たまに行くようになった。
昔ながらの、街の古本屋さんだ。
今ある古本チェーン店のようにキレイな店内ではなく、所狭しと本が積まれ、雑然としていた。
店内は静か。
本を探しているといつも、古本屋のおやじに見られているような気がした。
独特な緊張感を持って、通ったものだ。
それから進学していくにつれて行動範囲が広がり、いろいろな古本屋に出入りした。
大学のあった街には古本屋がたくさん並んでいたものだから、様々な店に入って物色したものだけど、今ではそれらの店の店内のことはもうほとんど思い出せない。
大学で卒論を書くにあたっては、神保町の古書店街も回ったなぁ。
今、向井透史著『早稲田古本屋日録』という本を読んでいて、そんな古本屋にまつわる記憶が蘇ってきた。
この本、早稲田にある古書店「古書現世」の店主が、古本屋での日常を綴ったものだ。
帳場から見る、古本屋の日常。
本への愛情、そこで出会う、本を愛する人への愛情に溢れ、そして何より、帳場からの定点観測とその観察力に基づく文章は、抜群に面白い。
いつの頃からか、そういう古本屋に行くことはめっきりなくなった。
キレイな本が並ぶ、大手古本チェーンに行くことが増えたためだ。
思えば、昔ながらの古本屋には、そこにしかない情緒があった。
利便性に押しやられ、そういう情緒ある古本屋さんの存在を忘れかけていた。
たまには、そういう昔ながらの、街の古本屋さんに行きたいな、と思った。