「所有」から「アクセス」へ。
「所有」から「アクセス」へ。
レコードやCDなどのモノを「所有」することで享受されるものであった音楽が、それらのモノを所有することなくインターネット上のデータベースに「アクセス」して享受されるものへと変化しつつある。
そんな時代の趨勢を表した言葉として、最近いろんなところで見かけるようになりました。
あるいは、「所有」から「共有」へ、「所有」するものから「参照」するものへ。
言葉は様々ですが、言わんとすることは一緒です。
つまり、音楽を「所有」して聴く時代はもう古い、と。
その分かりやすい例として、一時はCDバブルとでもいうべき90年代をピークとして、もはやCDは売れない時代になったと言われます。
いや、実際に売れてないんですね、枚数としては。
代わりに2000年代はダウンロード販売の売り上げが伸び、今はそれすらも古いものとなり、聴き放題のストリーミング配信サービスが主流になりつつあるようです。
僕も以前は、CDをかなり買っていました。
まだ聴いていないCDが山積みになっているにもかかわらず、さらに欲しいCDが増えて新しいCDを買ってしまうようなことも日常茶飯事。
CDを聴くことよりも、むしろ買うことの方が好きなのではないか?
そう疑われてもおかしくない状態でした。
それが今や、CDを買うことがほとんどなくなりました。
今まで聴いたことがない音楽へのアンテナが弱くなったのも一因かもしれませんが、そればかりでもありません。
既に大量の音楽を「所有」していて、それらをもしもう一度全て聴きなおすということになったとしたら、どれだけの時間がかかることでしょう。
「所有」していないCDでもレンタル店に置いてあるようなものだったら、気楽に借りてきてiTunesにダウンロードし、簡単に何度も聴くことができます。
新しい情報を知れば、YouTubeで気楽に検索して、どんな音楽なのか、簡単に聴いてみることもできます。
既に保存場所に困るくらいのCDがあるので、これ以上モノを増やしたくないという事情もあるでしょう。
そんないろんな要因があるので、モノを持つことなく、いつでもどこでも聴きたい音楽に気楽に「アクセス」できるのはとても魅力的に感じるようになりました。
それでも僕はまだ、聴き放題のストリーミング配信サービスを利用してはいません。
その時に聴きたい音楽が、聴き放題のリストの中にあるのか不安もあるし、CDを買ったりレンタルしたりする、慣れ親しんだ方法から抜け出せないだけなのかもしれません。
本当に好きな音楽は、やっぱりモノとしても「所有」したいという願望もまだ心のどこかに残っているのでしょう。
音楽の享受され方はこれからどう変わっていくのでしょうか。
その先には、今はまだ思いもよらない新しい道がある可能性だってあると思います。
そして、そういう変化に対して、音楽を発信する側の一人として、どう対応していくのが良いのか。
どう発信していくのが、楽しくてワクワクすることなのか。
音楽を享受する側の一人として。
音楽を発信する側の一人として。
その両面から、新しい環境の変化に関わって考えていくのは、なんだか楽しいことに感じます。
今の時代を生きている感じがします。
ひとまず試しに、聴き放題のストリーミング配信サービスを利用してみるのもアリなのかなぁ、と思う次第です。