10年前の今ごろは何をしていたのだろう?
10年前の今ごろは何をしていたのだろう?
ふと、そんなことが頭をよぎる。
そして、思い出そうとする。
けれど、思い出せない。
どのバンドをやっていた頃だろう?
それをきっかけに思い出そうとするも、候補はいくつか出てくるだけで、それが何年前なのか正確には分からない。
2009年の活動状況はこうだった、というのが言い切れない。
そして、ふと思いつく。
その頃に書いていたブログ記事が残っているのではないか?
探してみる。
手間どりながらも見つけることができた。
2008年の年末に一度ブログを止めて、2010年の後半に場所を移して再開していた。
ということで2009年の活動状況は全く分からずじまい。
こういう時、記録を残しておくことの大切さを実感する。
それが今、記録を残しておくことのモチベーションになっている。
ところで質問。
「10年前の今ごろ、あなたはどこで何をしていましたか?」
欲しい!ライドシンバル!
「うーむ、どうもピンとこないなぁ。」
買い物に出かけて、良さそうなものを見つける。
これは欲しいかもと思い、試してみる。
そうして試した結果、思っていた感触とはなんだか違っていて上記のような言葉が漏れることがある。
いや、実際には声に出さないけれど。
心の声として。
それで結局は買わずじまい。
先日、楽器屋でこれと同じことがあった。
ものはドラムセットで使うシンバル。
「ガシャーン」と響く、金属製のあれですね。
もうちょっと具体的に言うと、ライドシンバル。
さらに言うと、ジルジャンの、20インチの、ってもういいか。
ともかく、気になって試奏させてもらったライドシンバルは、欲しかったイメージとはちょっと違っていた。
値段もスペックも良い感じだし、惜しいのだけれど、やっぱり何かが違う。
ちょっと「重い」というか。
それで結局は買わなかった。
家に帰ってきて、「やっぱり買っても良かったかなぁ、もったいないことしたかなぁ」などとちょっと後悔の気持ちもあったりなかったり。
というわけで、つづく。
ワンマンに向けてバンドミーティング
2019年11月1日金曜日、Mr.ワリコメッツのワンマンライヴが決まった。
バンド結成10周年を記念してのものだ。
そのちょうど4ヶ月前にあたる今日。
都内某所のファミレスに集まって、バンドのミーティングをする。
やはり大きな目標があるのは良いものだ。
特に意識することもなく、自然と気合が入る。
10周年記念ワンマンライヴに向けての歩みは、まだ始まったばかり。
なんだか節目を感じて、久しぶりにブログを書いてみた。
“小さな一歩”が大きな変化を生む、のかもしれない。
2009年の11月1日がそうであったように。
やりたいことと、求められることの間
久しぶりにブログを書いてみようと思う。
なんだろう。
急に書いてみたくなった。
書きたくなった。
書かなければならないと思った。
伏線はあった。
「発信しなければ、存在しないのと同じなのではないか?」
そのような言葉に刺激された。
そう、言葉にまみれながら過ごす日々。
ゴールデンウィーク明けの今日、僕らは名古屋に行ってライヴをする。
「なぜゴールデンウィーク明けなんかにやるの?」
そう尋ねられることもある。
「オファーがあったから。」
そうとしか言いようがない。
オファーを受けて、スケジュール、条件、その他もろもろ検討して、「よし、行こう!」と決めたのは僕らではあるけれど。
自分がやりたいことと、他人から求められること。
そして、理想と現実。
それらは、重なることもあるし、離れてギャップが生まれることもある。
付いたり離れたり。
あるいは、付かず離れず。
嬉しいときもあれば、辛いときもある。
充実感があるときもあれば、もがき苦しむときもある。
ゴールデンウィーク明けの、通勤時間帯の電車に揺られながら、たまたま乗り合わせた人たちを見て想像する。
「この人たちの理想と現実はどんなものなのだろうか?」
答えは分からない。
ただ想像するのみである。
大型連休明けの今朝だからこそ、そのギャップを感じている人も多いのではないか。
そんなことを考えながら、名古屋へと向かう朝であった。
歩みはノロいが。
あまりブログを書かなくなって久しい。
今は発信することよりも、自分の興味を掘り下げていく期間。
そのように認識し、足りない時間の中でやり繰りした結果、現状はこうなっている。
特に深い意味はない。
何の意図もない。
今の興味は、「音楽と身体」。
特に、「身体」への比重が高いかもしれない。
前からしばらく続いている興味。
楽器を演奏するのでも、歌を歌うのでも、まずは身体を使って行なわれるのが大前提。
そして、身体の使い方一つで、その結果が大きく変わってしまう。
特にドラムという楽器の演奏は、身体との結び付きが強いように思われる。
歌というのは「身体」が楽器である、というようなことも言われる。
ともかく、身体の使い方を根本的に作り変えたいと考え、日夜研究中である。
歩みはノロいが。
音楽は、世界を知覚する手段
興味関心のあることはなんでもやってやろう!
基本姿勢としてはそうありたいし、そうやってきたつもりだけど、現実問題としては「時間の許すかぎり」という条件がつきまとってしまう。
限られた時間の中であれもこれもと欲張って、すべてが中途半端になってしまっている自覚のようなものを感じ始めていた。
これではいかん!
自分にとって本当に大事なものは何か?
それ以外のことに関しては一度、捨ててしまう覚悟が必要なのではないか?
そのような感じで、棚卸し期間が続いている。
ジャック・アタリ著『ノイズ』という本にこんなことが書いてあった。
音楽は、研究の対象であるばかりではない。それは世界を知覚する1つの手段でもあるのだ。
音楽を通して、これからの世界を見たい。