断書?活字に飢えている
二夜連続のアルコール摂取により、全く本が読めていない。
昨日1日で読んだ本の量は、なんとたったの10ページ。
異例の少なさである。
もちろん、ツアーに出たらそういうこともあるにはあるが。
お酒を飲みながら人と話をするのは無論楽しいし、生きていく上で必要不可欠な時間。
それは間違いないのだが、そればかりでは自分の中でバランスが取れない。
1人になって本や音楽に熱中する時間もとても大切である。
両方あってこそ、充実感を得られる。
今やっと、少しばかりの読書時間を持てた。
断食ならぬ、断書で、今とても活字に飢えている。
さぁ、読書の時間を。
コミュニケーションが熱気を呼び覚ます!?昨夜のライヴから
昨夜のMr.ワリコメッツは、いつもお世話になっている京都のバンド、HONEY MAKERによるイベントに出演してきた。
ハコは代々木にある、ザーザズー。
ライヴを観に行ったことはあるけれど、ライヴをするのは初めてだった。
ステージが横に長く、フロアも横に長い。
そんな性質から、ステージから見える風景が普段と違って面白かった。
前3人の位置によってドラムからはフロアがあまり見えなくなったりするものだけど、横に広い分、そんな時もフロアがよく見える。
フロアが見えると、その分コミュニケーションの可能性が広がる。
コミュニケーション。
音楽はコミュニケーションだ。
曲を通して、バンドメンバーとコミュニケーションする。
フロアのオーディエンスとコミュニケーションする。
コミュニケーションによって、ショーはより熱気を帯びてくる。
昨夜はそれが実感できて、とても楽しいライヴであった。
楽しくなりすぎて、変なミスもしてしまったが。
けれど、良いライヴにはちょっとしたミスは些細なこと。
今はそう思える。
ライヴ後も、ビールを飲みながら、いろいろな人と話し、コミュニケーションを取る。
これも楽しい時間。
初めて会う人、久しぶりの人、先週会ったばかりの人、いつもの人。
感謝したい人でいっぱいだ。
ありがとう。
昨日は贈り物もいろいろ頂いた。
重ねてありがとう。
Mr.ワリコメッツ、次のライヴは2/14(水)京都磔磔、そしてその翌日の難波メレ。
また素晴らしい夜を過ごせたなら!と思う。
ライヴ当日、よく寝て、よく読み、よく叩く
ライヴ前日にすべき大切なこと。
それは十分な睡眠を取ること。
と意識したわけではないが、今日はいつもより早く寝ていつもくらいの時間に起きるということをした。
いや、してしまったと言った方が適切か。
そうして迎えた朝。
今日は午前中から読書に時間を当てる。
これ、先週のライヴ当日にも読んだと書いたような気がするから、読むのに時間がかかっている。
まぁ、500ページ以上ある本だから時間がかかって当然か。
プロの情報屋だった佐藤優氏と、検事との駆け引きにスリルを覚え、豊富な知識に裏付けされた佐藤優氏の洞察力に唸る。
渡辺裕著『歌う国民』(中公新書)。
唱歌をめぐる書籍。
「仰げば尊し」と「旅立ちの日に」、卒業式の歌をめぐる攻防から、時代など状況によって歌に付随する意味合いも変わってくるのだなぁ、と思う。
同じ歌なのに。
それからスタジオに行って軽くウォーミングアップをしてきた。
今日は代々木ザーザズーでのイベントに出演する。
ウォーミングアップは、好感触。
たっぷり寝たからか、どうやら身体の調子が良いようだ。
さて、代々木へ向かうとするか。
音楽は奥深い!〜「ジョニー・B・グッド」〜
昨日、グレイトフル・デッド『Greatful Dead[Skull & Roses]』を聴いていたら、「ジョニー・B・グッド」が流れてきた。
グレイトフル・デッドによる「ジョニー・B・グッド」のカヴァー。
この曲は、チャック・ベリー原曲の、超が付くほど有名な曲で、録音されたかどうかを問わず、カヴァーされた回数は相当な数に上るだろう。
僕も、ステージで演奏した回数はかなりある。
ライヴで演奏すればほぼ間違いなく盛り上がると言っていいほどの定番曲で、それが故に当たり前すぎて面白みに欠ける曲のようにも感じる。
この「ジョニー・B・グッド」のグレイトフル・デッドによるカヴァー。
これがなかなかどうして、新鮮味を感じる好カヴァーだった。
僕がそう感じたのは、2本のギターサウンドに惹きつけられてのものだったように思うが、ポイントはもう飽き飽きしているような曲でも、サウンドやアレンジによっては新鮮な驚きを得られるということ。
それほどにも音楽は奥深い!ということを再発見した出来事であった。
音楽を聴く、インスピレーションを求めて
昨夜は、Mr.ワリコメッツのスタジオ。
スケジュールの関係でベースレス、3人でのスタジオだった。
今は曲作りの時期、昨夜も主に新曲を、いや、むしろ新曲しかやらなかった。
一曲を徹底的に練り上げる。
「ああでもない」、「こうでもない」とあれこれ試すのは、楽しい作業。
新しい曲、どんどんやりたい。
スタジオ入りに当たって、いろいろな曲を聴いた。
なにかインスピレーションを得られないかと、目的を持った聴き方。
たとえば、60年代イギリスはリヴァプール出身のバンド、サーチャーズを聴く。
ポップな楽曲とちょっと荒さを伴う声質、コーラスワークなどが気持ち良い。
インスピレーションを得ようと目的を持って音楽を聴くと、また音楽の聴き方が変わる。
昨夜は、先日レッドクロスでのライヴの、然るべき人からの嬉しい褒め言葉を伝え聞く。
良い音楽を作るには、良い音楽をたくさん聴くことが重要である。
文筆家が本をたくさん読むように。
もっと音楽を聴きたい。
音楽は芸術か?
渡辺裕著『歌う国民』(中公新書)という本を読み始めた。
明治時代に生まれた「唱歌」なるものをめぐって展開される、日本人の歌についての本である。
この本によると、〈「国民づくり」のツールとしての音楽〉として、「唱歌」は生まれたという。
どういうことかと言うと、明治維新後、日本政府は近代国家として「日本」という国を作り直すことが喫緊の課題であった。
それまで、日本に住む人にとって、「日本」という国を意識することはあまりなく、「日本国民」という意識もほとんどなかった。
でも、それでは近代国家としての日本は成立し得ない。
政府はどうしても、「日本国民」という意識を人々に植え付ける必要があった。
そのための有効な手段として、明治政府は音楽を利用しようとしたという。
「唱歌」を作り、広めることによって、「日本国民」というアイデンティティ意識を確立しようとしたのである。
ここにある「音楽」というものは、「芸術」としの機能を持たない。
「娯楽」という機能も持たない。
ここにはどんな機能があるだろうか?
「教育」とでも言ったら良いか?
一口に音楽と言っても、その目的に応じて様々な機能が生じる。
翻って、僕らが普段触れている、バンドによる音楽はどんな機能を持っているだろうか?
そんなことは考える必要はないかもしれない。
けれど、僕はそんなことも考えたくなってしまう。
自明なこととして意識されないことに一度疑問を持ち、先入観から一度離れて、改めて「音楽」というものを見つめ直すことは、新たな可能性を模索することにも繋がると思う。
ライヴハウスで会った、イタリア人シェフと
少し前に知人のライヴに遊びに行った時、そこに遊びに来ていた人と話す機会があり、仲良くなった。
彼はややカタコト気味な日本語を話すイタリア人で、料理人であった。
アメリカ料理のレストランで働いているということを聞いたので、近いうちに食べに行くからと店の場所と名前を教えてもらった。
昨夜、そのレストランに行ってきた。
僕はこういう縁はとても大事だと思っていて、時間が空いてしまうとお互い記憶も薄れてしまうので、「鉄は熱いうちに打て」というモットーとともにタイミングをうかがっていた。
幸い、相手はレストランだ。
定休日はあるものの、それを除けば自分のタイミングで行ける。
それが昨夜、ようやく叶った。
料理は美味しかった。
ライヴハウスで会った彼とも再会できた。
向こうは初め、顔は見たことあるけれ、どこで会ったか思い出せなかったらしい。
無理もない。
一度会って軽く話しただけなのだから。
どこで会ったか彼に説明すると、向こうはすぐに思い出してくれた。
僕は忘れてしまっていたのだけど、去年のMr.ワリコメッツのワンマンの時に作った記念ライターを、その時に彼にあげていたらしい。
だからすぐ、「最近バンドはどうだ?」、「次のギグはいつだ?」というようなことを聞いてくれた。
嬉しかった。
こちらの予想を上回ることまで覚えていてくれて。
素敵な縁に、感謝。