旅先にて
今、大阪は難波の、とあるカフェにいる。
旅先にて何かを書くという行為は、特にバンドメンバーとツアーに出ている状況だとなおさら、億劫になるものだ。
しかし今、ちょっとした待ち時間ができて、ふと何かを書いてみたいと思い立った次第。
この一週間ばかりの事を、思いつくまま書いておこう。
先週11日の土曜日、サポート参加しているSTEPPEN STONEのライヴがこの一週間のスタートだった。
場所は、横浜は日の出町にある、CLUB SENSATIONというお店。
同じ関東圏に長く住んでいても、横浜にはあまり縁がなく、日の出町に行ったのも初めて。
英国スタイルの素敵なお店だった。
コンパクトなお店でお客さんの親密度も高く、ライヴを観て気に入ってくれた外人さんがビールを奢ってくれたりした。
多くの出会いがあり、楽しかったのと、慣れない場所だったのとが相まって、案の定終電を逃して途中までしか帰れないという失態も犯した。
ご愛嬌。
日曜日はゆっくり休む。
13日月曜日。
この日からMr.ワリコメッツのプチツアーのスタート。
名古屋へ向けて早朝から都内を出発。
昼頃名古屋に到着して、現地で軽くスタジオ入り。
それから得三へ。
得三でのライヴは二度目。
お客さんの入りは少なかったけど、勢いよくパフォーマンス。
終演後、わりとすぐお店を出て帰京。
バードな1日だった。
14日火曜日。
ゆっくり休む予定だったけど、Mr.ワリコメッツのベーシスト、キリから呼び出されて酒を酌み交わす。
そして、深酒。
仲良しか!?(笑)
15日水曜日。
前日の深酒が効いたのか、なかなか起きられず。
それでも頑張って、新松戸ファイヤーバードにてライヴ。
短い時間だったので、勢いよく駆け抜けるようなステージ。
対バンの方々が暖かく、Mr.ワリコメッツのライヴも楽しんでくれたようで、良かった。
翌日から関西ツアーということもあり早く帰らなければいけないと思いつつ、ライヴハウスに長居してしまって、他のバンドマンやお客さんを送り出すという始末。
それもまた良し。
そして昨日、16日木曜日。
やはり早朝に都内を出発して京都へ。
磔磔にてライヴ。
久しぶりの磔磔だったけど、音の響きが温かく、改めて良いハコだなぁと認識した。
また出演したい、いや、これから何度でもお世話になりたい。
以前京都でたまたまライヴを観てくれたお客さんが、また観たいとライヴに足を運んでくれたのも嬉しかった。
出会いは、素敵だ!
そして今日、17日金曜日。
ゆっくり京都を出発して、今、大阪は難波にいる。
難波に来るのは2年ぶりくらいかな。
街を歩くと昔の記憶が蘇る。
それらの記憶と繋がる、今は辞めてしまった昔のメンバーとの思い出も。
さて、今夜は難波メレにてMr.ワリコメッツのライヴ。
今回のプチツアーのファイナルだ。
ライヴが続くことによって、疲労もあるけど、その中で発見できることもあって、成長もできる。
今夜はその集大成。
そして、Mr.ワリコメッツの新たな記憶を刻んでいこう。
新しいページを開いて、輝かしい未来を書き記していく。
そんな期待を胸に、リハーサルへと向かう。
雑感、とりとめもなく
先日ひとまず、僕にとって今年初のライブを終えてきた。
雑感。
一年のスタートとしは、まぁ、悪くないものだったと思う。
ほぼ2ヶ月ぶりというハンデ(やはり常にステージに立っていることの大事さよ!)はあったにせよ、多くの人に楽しんでもらえたものだったと、希望的観測ス。
大事なのはこれから。
去年のことを思えば派手な幕開けとなったかもしれないスタートも、今年のひとまずの目標のことを想えば小さな一歩にすぎない。
大きなうねりを作り出して、育てていきたい。
最近、「言葉」というものに興味がある。
水村美苗著『日本語が亡びるとき』(ちくま文庫)を読んだ影響。
「書き言葉」と「話し言葉」。
「書き言葉」は、話される言葉をただ文字に写し取っただけのものではない。
「書き言葉」の歴史。
読まれるべき言葉の変遷。
漢語という「普遍語」と、日本語という「現地語」。
否応なく近代社会に突入させられてからの、国語の成立、繁栄、衰退。
英語が母国語に生まれたものの、特権と弱み。
非英語圏に生まれたものの苦悩と、苦悩に向き合うことによる利点。
とりとめもなくキーワードを羅列してしまった。
考えるポイントは、まだちゃんと整理できていない。
それでも、目を見開かされた興奮にいてもたってもいられなくて、書き記してしまった次第。
Mr.ワリコメッツの一年を振り返ってみる
一年の計は元旦にあり、なんて言うけど、今年は正月の間に今年の目標らしきものを考えることはしなかった。
忙しさに流されてしまったということもあるけれど、それよりも、なぜわざわざ正月に一年の目標を決めなければならないのか?それはいつやったっていいじゃないか!と思っているからでもある。
ま、そんな理屈にもならないことを書いたところで、目標を決める前にまずやりそうな、一年を振り返る作業をしてみよう。
僕の主なる活動、Mr.ワリコメッツというバンドの一年間を振り返ってみるのである。
2016年1月。
月末の週末、ちょうど去年の今頃。
名古屋得三、京都拾得での2days。
ずっと出演したいと思っていた得三での、初めてのライヴだった。
この時ギターはエレキのマコ。
写真は京都拾得でのもの。
2月。
ライヴ無し。
3月。
MAMORU & THE DAViESのイベント、バーレスクダンスとのコラボイベントなどに呼ばれてライヴ出演。
バーレスクダンスとのコラボレーションでは、芝居の真似事にも挑戦した。
芝居と呼べるほどのたいそうなモンではなかったけど、、、
4月。
ギターのメンバーチェンジ。
メッシ加入で、モトローラーズ主催イベントに出演。
準備期間短かったのに、好感触なライヴだったことを覚えている。
5月。
ライヴ1本。
どんなライヴだったか、記憶がない(笑)
6月。
ギター、カツクラ加入。
Mr.ワリコメッツは初めて5人編成のバンドとなり、東高円寺にあるUFO CLUBにて初ライヴ。
新メンバーだった2人のギタリストのあまりの素晴らしさに後押しされて、最高のライヴになった。
今となっては、良い思い出である。
7月。
5人編成になったMr.ワリコメッツではあったけど、新加入のギタリスト・カツクラは自身がリーダーを務めるロンボトランヒップショットの活動などもあり多忙を極め、Mr.ワリコメッツのライヴには不定期参加。
というわけで、7月には4人編成でのライヴを1本。
8月。
5人編成で2本のライヴ。
9月。
5人編成としては初の新宿レッドクロス出演。
10月。
4人編成でのライヴが決まっていたが、その数日前にギター・メッシが腰を痛めて出演不可に。
急遽、ボーカル・エイジとベース・キリで組んでいるユニット「ニッチとサッチ」に、ドラム・ヒロヤがオマケで付いてくるような形でライヴをした。
アコースティックなサウンドでやったあのライヴ、あれはあれで良かった。
11月。
池袋、新松戸にて4人編成で2本、浅草にて5人編成で1本のライヴ。
ライヴ内容がだんだん登り調子になる中、月末、いよいよ久しぶりの関西へ。
編成は4人。
京都メトロ、塚本エレバティの2days。
確かな手応えを感じた、充実したツアーだった。
12月。
同じ日に2本のライヴ。
まずは5人編成でモーレツアタック40'sのイベントに出演し、その後深夜、4人編成でBLASTJAMS!!という一大イベントに出演。
2017年1月。
残念ながらギター・カツクラ脱退。
あの素晴らしいギターが入った5人編成のMr.ワリコメッツの期間は、言わば夢の中の時間だったのかもしれない。
そして、現実に戻った4人でレコーディング開始。
そして、現在に至る。
さて、これからの一年はどんな一年になるのだろう。
目標や計画はもちろんあるのだけれど、ここでそれを書くのは控えておく。
ただ一つ言えること。
それは次の一歩が2/3(金)のライヴだということ。
次の一年、すべてはここから始まる。
一年の計は、始めの一歩の瞬間にあり。
スタジオ、音楽の捉え方の変化
一昨日の22日、サポート参加しているSTEPPEN STONEでスタジオに入ってきた。
そして、今日さっき、Mr.ワリコメッツでスタジオに入ってきた。
あまりにも率直な言葉だけど、最近、スタジオがとても楽しい。
スタジオに入る前は、意外と不安になったりすることもあるけど、集まったメンバーと音を出していると自然と楽しくなってくる。
「楽しい」と表現すると語弊があるかもしれない。
何も考えてない印象の語感がある。
逆だ。
スタジオに入ると、たくさん考えることができて楽しい。
最近、音楽の捉え方が変わってきた。
抽象的な話になってしまうが、音楽を俯瞰して見ている感覚がある。
以前は演奏している自分にいっぱいいっぱいになっていた。
演奏するフレーズに囚われていた。
周りの演奏(の印象)に囚われていた。
曲(の構成)に囚われていた。
正しい(とされる)テンポに囚われていた。
それが今は、自分がどこにいるのか分からないような、不思議な感覚に落ち入る。
一歩離れたところにいる。
なんだかオカルトチックになってきたからこの辺でやめておこう。
今感じている感覚を書き残しておきたかっただけだ。
読んでいた本にこんな言葉があった。
「これを音楽に置き換えると、とてつもなく密度の濃い作品というのがありますよね。モーツァルトでもベートーヴェンでもワーグナーでも、シェーンベルクでもいいですが(中略)これに向き合っているときの時間の流れにおける精神現象の密度たるや、すごいものじゃないですか。(中略)つまり、あれは音楽だと思って聴いているけれどそうではなくて、世界を受けとめる、考える密度だと思うのです。」(茂木健一郎/江村哲二著『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書)
閑話休題。
僕らバンドマンにとって、提供できる主要な価値は「ライヴ」という体験と、「音源」という作品だと考える。
他にもあるだろうけど、他は枝葉末節だと、あえて言ってしまおう。
そして、今年はそれらを面白いカタチでどんどん提供していけそうだ。
まずひと山は、夏頃になる予定。
すごいことになるよ!という、希望的観測を述べたところで、今日はおしまい、おしまい。
考えること
毎日、いろいろな本を読む。
それが頭の栄養となって、いずれ書いたり話したりすることに繋がってくる。
毎日、いろいろな音楽を聴く。
それがやはり頭の栄養となって、いずれ曲を作ったり演奏したりするときに役立つ。
インプットとアウトプット。
人はこのバランスが大切だという。
インプットばかりでアウトプットをしなければ、何も産み出すことはできない。
アウトプットはするけどインプットが全くなければ、いずれは枯渇してしまう。
インプットとアウトプットの関係性は、大雑把な説明だけれど、こんなところか。
そして、インプットとアウトプットを繋ぐ、とても重要なもの。
それは思考すること。
考えること。
最近は、この「考える」ことの重要性を強く感じていて、少しでも考える時間を増やしたいと思っている。
特に普段見落としがちなこととして、音楽の演奏がある。
一度曲を覚えたら、あとは考えることをやめ、いつも同じように演奏してしまったり。
アレンジを考えるまでは頭を使うけど、一度固まったら、あとは考えることをやめ、いつも通り演奏してしまったり。
余計なことを考えない方が楽だし効率はいいかもしれない。
けれど、どんなアウトプットにしたいのか、それを「考える」ことが、自分の演奏に良い変化をもたらす。
意識しだしてから、そう実感している。
ライヴが待ち遠しい。
『グレン・ミラー物語』という映画を観た
昨晩、『グレン・ミラー物語』という映画を観た。
スウィングジャズ華やかりし頃のアメリカで活躍したジャズミュージシャン、グレン・ミラーの半生を綴った伝記的映画だ。
今までグレン・ミラーのことをしっかりとは認識していなくて、トロンボーン奏者だったことを今回初めて知る。
そして、映画を観るかぎり、グレン・ミラーは作曲家ではあるけど、それよりも編曲家として大きな能力を発揮したようだ。
編曲。
アレンジ。
映画でふんだんに使われているグレン・ミラーの音楽を聴いていると、楽器間の絡みが面白いなぁ、と思う。
なんというか、手が込んでいる。
たくさんの楽器を使っているからこそできることではあって、例えば4人編成のロックバンドでは無論マネできないことだ。
真似はできなくとも、思想というか手法というか、アイデアの源にはなるかもしれない。
映画の中で繰り返し強調されていたのは、自分なりの独創的なサウンドを見つけるべきだということ。
そして、それは個々の楽器の演奏の中にあるのではなく、楽器通しの組み合わせ、コンビネーションの中にこそあるのだ、ということ。
コンビネーションの中に自分なりの、あるいは自分たちなりのサウンドを見つけていく。
追求していきたいことではある。
好きなことだけして生きていけたら、という罠(『フォン・ノイマンの生涯』を読んで)
図書館で借りてた本の返却期限が迫ってたこともあって、ここのところかかりきりになってた本があった。
ノーマン・マクレイ著『フォン・ノイマンの生涯』。
フォン・ノイマンはコンピューターの基礎を作った数学者とも呼べるような存在で、この本自体はタイトルに「生涯」とあるように伝記ではあるのだけど、話題はどうしても数学や物理、あるいはゲーム理論とか計算機とか、難しくて理解できないようなものにも及び、さらに文章量も結構あったので、読むのにとにかく時間がかかった。
数学や物理というと、もうその言葉だけで拒否反応を起こす人もいるけれど、僕は数学に関する本を読むのは好きだ。
話題に出てくる数学の中身はよく分からないし、数式が出てきたらチンプンカンプンなのだけれど、想像力が刺激される感覚を味わえるのがいい!
数学で一番大事なのは想像力(創造力)だと勝手に思っている。
虚数iってあったけど、あれはイマジナリーナンバー、つまり想像上の数ということ。
高校生の頃など数学の授業についていけなくなったものだけど、あれは想像力が足りなかったからだと今になっては思う。
それはともかく。
『フォン・ノイマンの生涯』。
19世紀後半〜20世紀初頭のハンガリーの雰囲気など興味引かれる話題が多数あり、難しくて時間がかかったけれど、期限内になんとか最後まで読み通すことができた。
その中に、アメリカはニュージャージー州、プリンストン高等研究所というところの話があった。
普通、大学などで働く研究者は、学生を教えたり、その他雑務もあったりして好きな研究に十分な時間が使えなかったりするものらしいが、このプリンストン高等研究所はそんな雑務から研究者を解放して自由に自分の好きな研究に没頭させてあげようという狙いを持っていた。
研究者にとってそんな理想的な環境ならさぞ素晴らしい研究の数々が生まれただろうと思いきや、案外そうでもない面もあったという。
人はそういう悠長な環境にあると、どうも良いアイデアが浮かんでこないらしい。
この感じは、身に覚えがある。
やるべきことが多く時間に余裕がない時は、「もっと自由な時間があればもっと音楽たくさん聴いて、もっと練習したり曲作ったりして、もっと良いライヴもできるのに」と思うのに、自由な時間がたっぷりあると、どうもやる気が起きなくてダラダラ過ごしてしまうという類の経験。
あるいは時間に余裕があると、いろんなことを考えたりして思い悩むのに、いっこうに突破口が見つからないとか。
普段僕たちは「生活のための仕事なんてしないで、自分の好きなことだけして生きていけたらどんなにいいことだろう」なんて思ったりするものだけど、プリンストン高等研究所のエピソードを読むと、それも考えものだなぁ、と思う。
人にはやはり、様々な刺激が必要なのだろう。
場合によっては制約があった方がいいこともある。
追い込まれることで人は進歩する。
と、連想がさらに広がってしまいそうなので、今日はこの辺で。