非常事態とは言え、このままでいいのだろうか?
昨日、一昨日とバンドでレコーディングをした。
メンバー4人と、エンジニアさん1人。
昼から5人集まって、あーだ、こーだ、と計18時間。
何回も演奏するし、集中もするしで、これはすごく疲れるのだけど、終わってみるとなんだか心温まるような、不思議な充実感に包まれる。
ドラム、ベース、ギターの音を録った。
まだまだ途中経過。
それなのに完成形を想像して、ニンマリしてしまっている自分に気付いたりする。
ここからがまた大変だったりするのだけど、ほんのひとときの淡い空想。
我に返ると、2日後には今度は名古屋、京都、大阪へのライヴツアーが待っている。
頭を切り替えて、今日もスタジオでドラムの個人練習。
連日のドラムプレイで身体が悲鳴をあげ始めている気もするが、これはきっと気のせいだろう。
まだまだ、これから。
音楽の探究に終わりはない。
喜ばしいこと。
そんなこんなで、あまり音楽を聴いていない、この数日だったが、まぁ、これはこれで仕方がない。
時間が足りないばかりでなく、惑わされないように余計な情報を遮断した、という一面もあったのだし。
それより今、「ライヴ(ハウス)」という文化がどうなってしまうのだろうか?というのが気がかり。
人の行動が積み重なって文化ができる。
非常事態とは言え、このままでいいのだろうか?
まずは自らに問うべきことだ。
iPadとオーディオインターフェイスとGarageBandが友達
今日もスタジオに行く。
ドラムを録音して、家に持ち帰って、問題点をチェックしての繰り返し。
サッカーで「ボールは友達」という表現を使ったりするが、それに倣えば、「iPadとオーディオインターフェイスとGarageBandが友達」といった近況だ。
練習するだけに比べると余計に時間がかかってしまう難点もあるが、ちょっとした小道具を持ち出すだけで細部までチェックができるのだから便利な世の中になったものである。
細部、とても大事。
そんな中、今日はキング・クリムゾン『クリムゾン・キングの宮殿』を聴く。
名古屋今池にある、ワイルドハニーというお店で買ったCDだ。
なんで今クリムゾンを聴く?
たまたまそこにあったからだ。
あのジャケットでこっちを見られたら、それは聴くしかないだろう。
1曲目、「21世紀のスキッツォイド・マン」は、界隈でお世話になっているバンド、匕首蝮(ドスマムシ)の登場曲、として一部界隈では有名か。
やっぱりカッコいい。
2曲目、「風に語りて」とか、5曲目、「クリムゾン・キングの宮殿」あたりを聴いていると、ジョン・レノンに声が似てたりだとか、なんとなくビートルズっぽさを感じてしまうのは、気のせいだろうか?
クリムゾン・キングの宮殿 (ファイナル・ヴァージョン)(紙ジャケット仕様) - Amazon.co.jp
はっぴいえんど
今日も近所にあるいつものスタジオに行く。
最近、スタジオに入り浸る毎日。
スタジオ通いの日常も、なかなか悪くない。
お金がどんどんかかることを除いては。
ドラムや歌など、録音して聴きかえすということを繰り返す。
何も目新しいことのない、基本的な練習方法だけれど、これがやはり効くのだと認識を新たにする。
何が足りないのか。
もっと何が欲しいのか。
どうすればそれが実現できるのか。
音楽研究に熱が入る。
必然的に音楽を聴くことにも熱が入る。
最近は、はっぴいえんどにハマっている。
『はっぴいえんど』、通称「ゆでめん」というアルバム。
音が良い。
ドラムの音も、生で、軽やかで、繊細さがあって、とても好き。
アルバム制作にあたっては、歌や曲作りなどで、バッファロー・スプリングフィールドだったりプロコル・ハルムだったりを研究しながら挑んだという。
そういことだ。
結局、そういうことなんだ。
根底にあるものは同じ
『チャーリー・ワッツ・ミーツ・ザ・ダニッシュ・ラジオ・ビッグ・バンド』を聴く。
残念ながら先日亡くなった、ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツのジャズアルバムである。
Spotifyにあったので聴くことができた。
他にも聴いてみたいアルバムがあるのだけど、それらはどうやら現在、入手困難なようである。
再発してくれたらいいのだけど。
それはともかく、チャーリー・ワッツのジャズを聴くのは、僕は今回が初めて。
当然と言えば当然なのだけど、ローリング・ストーンズでのイメージとはだいぶ違う。
なんというか、そこで鳴らされている音は、ジャズだ。
本物のジャズだ。(本物ってなんだ!?というのはここでは置いておこう)
このアルバムでは、ストーンズの曲も演奏している。
「サティスファクション」、「無情の世界」、そして「黒くぬれ!」の三曲。
ジャズのフォーマットで聴くのも悪くない。
曲の美しさがより際立っているように思えて、曲をさらに好きにさえなってしまう。
そこにはやはり、チャーリー・ワッツの気持ちいいドラミングがあって、それがバンドの推進力になっている。
ロックンロールもジャズも関係ない。
と言うより、ロックンロールとジャズは親戚関係にあるのだということを思い出させてくれる。
根底にあるのは同じもので、そこにこそ大事な秘密が詰まっている。
その秘密のことを思うと、やはり音楽はやめられない。
力任せに連射している光景が、、、
ダムドのアルバム、『地獄に堕ちた野郎ども』を聴く。
なかなかにすごいタイトルだが、原題が『Damned Damned Damned』だということを知れば、邦題を付けた人はよくもまぁ大仕事を施したものだと思う。
時は1976年。
時代の空気みたいなものだろうか。
ダムドは、セックス・ピストルズやザ・クラッシュと並ぶロンドンパンクの雄。
というのは後知恵で、最近まで聴いたことすらなかった。
ピストルズやクラッシュは聴いたことはあったが、あまりハマらなかった。
それが最近はこの辺りを興味深く聴いている。
ピストルズ、クラッシュ、そしてダムド。
それぞれに持ち味が違って、聴き比べるのも面白い。
ダムドは、スピード感と爆音感が特徴か。
なんにかのボタンを力任せに連射している光景が思い浮かぶ。
しかも、粒立ちのはっきりした連射だから気持ちが良い。
時々顔を出す、キャッチーなギターフレーズも魅力的。
得した気分
日本的な音楽ってなんだろう?
矢野顕子『Japanese Girl』というアルバムを聴く。
日本人的な少女、とも解せるか?
なるほど。
どうやら民謡を元にした曲が入っていたり、尺八や琴や鼓など日本の伝統的な楽器が使われたりしていて、タイトルに違わず「日本」を強く感じさせるアルバムとなっている。
そして、伝統的な日本を強く感じさせると同時に、伝統的とは言い難い音楽性をも含んでいて、とても興味深い。
矢野顕子の音楽については今まで完全にノーマークだった。
ちょっとこれからハマりそうな予感がする。
ともかく、このアルバムのA面(1〜5曲目)は、バックバンドにリトル・フィートが参加しているという。
これまたびっくり。
リトル・フィートは前からすごく好きなバンドだけど、このことは知らなかった。
アルバム『Japanese Girl』の2曲目に「クマ」という曲がある。
この曲に尺八が使われている。
この尺八、ウィキペディアによると、なんとリトル・フィートのローウェル・ジョージが担当しているそう。
なんということだ。
「日本」を感じさてくれる伝統的な楽器を、アメリカン・ルーツ・ミュージックの巨匠にご教示いただけるだなんて。
なんだか得した気分。
https://open.spotify.com/album/5V1KEZRko0jOjqmFASeuTm?si=XLSadgQuRECi6-V1cFfPJA&dl_branch=1
決意表明のような、たわごと
最近、音楽を聴く時間がますます増えている。
緊急事態のステイホーム的なアレで時間に余裕があるのもあるし、学びのためにもっと聴きたいという欲求もあるし、ただ単純に脳が喜びを求めているだけというのもあるかもしれない。
音楽を聴くのは、やはり刺激に満ちた体験だ。
好奇心を満たしてくれる祝祭だ。
そして僕はまた、今日も音楽を聴く。
刺激を求めて。
学びを求めて。
喜びを求めて。
しばらくブログが放置状態になっていた。
だが、最近はSNSを控えてみた影響からか、やっぱりブログを定期的に書きたいと思うようになった。
なるべく毎日のように書きたい。
書けるかどうかは分からないが。
音楽から得た刺激や、学びや、喜びを、これからもブログに書いていこう。
と、決意表明のような、たわごとであった。